シドニーオリンピック委員会との付き合い
シドニーオリンピック委員会(SOCOG)との付き合いは1996年のアトランタオリンピックが終わってから直ぐに始まった。アトランタオリンピックの準備には私は参加していない。1995年まで外部の関連会社に出向していたので他の人にお願いしていたためだ。
何処のオリンピックでも同じだが、委員会のメンバーは関連官庁や市などからの出向者やオリンピックだけのために雇われた専門家達の集まりだ。建築関係、電気関係、イベント関係など多様にわたって人が集められていた。
ここでは多くの人達と友達になれたし、付き合いがあり仕事を一緒に行ってきた。
最初の大きなイベントは1998年に行われた長野オリンピックでの関係者のアテンドだった。
この時はシドニーオリンピック委員会の人達が大挙してオリンピックの会場を訪れ、会場の準備段階から、実際の大会期間中の運営方法などの勉強や技術の習得をしていた。中には観光気分で来る人も当然のようにいた。
私が担当してアテンドした2人は全体管理とパラリンピックの関係者であった。彼らは日本の文化に大変興味を持っていてホテルには泊まらずに我々が泊まる旅館に泊まりたがり、温泉にも興味を持っていた。
ある時、何処で情報を仕入れたのかは知らないが若い方の1人が「サルが温泉に入るところが有ると聞いたのでそこに行って見たい」と言う。私も初めてのところなどで不案内なところは有ったが、旅館の人たちに聞いたりしてその温泉場に連れて行ったことがある。
かなり山奥だったような気がする。車では行けずに徒歩で1時間ぐらい掛かったのではないだろうか? 何せ冬のオリンピックの準備をしている時だから雪が多く歩くのも大変だった記憶がある。
温泉場に着くとサルがたくさん集まって温泉に浸かっているところを見て大変驚いている様子だった。
丁度その時にアメリカの放送局のカメラクルーが取材に来ていて彼と私でインタビューを受けた。
私には日本人とあって色々とこの温泉の歴史やサルと人間の係わり合いなどの質問をしてきたが、私も始めて訪問するところであり、詳しいことは分からず、当たり障りの無い回答をしておいた。
その事から若い彼はすっかり私を信用してくれるようになり、シドニーで事務所を訪ねても快く対応してくれるようになった。
写真のTシャツはその時に彼が「お礼に」と私にプレゼントしてくれたものだ。
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