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2008年10月27日 (月)

帰国の日の夕食は決まって豪勢なタイ料理

何度もバンコクに出張していると一つのパターンが出来てくる。その一つが帰国の日の夕食だ。

私はいつもJALを使用していたのでバンコクからの帰国便は午後11時過ぎに出発する夜行便である。

ここで現地販社の技術者達は仕事が終わってから出発時刻の近くになるまでの数時間を一緒に夕食をとりながら過ごしてくれたのだ。

こう言う日の夕食は決まって豪勢なタイ料理だ。バンコク市内には日本人達が行くタイ料理専門の有名なレストランもあるが、彼らと行くレストランは決まって郊外にあり、日本人は恐らく滅多に行かないような造りのお店であった。ほとんどが簡易な屋根を備えたオープンな感じの造りでいかにも南国風だった。

彼らも心得た物で、毎回違ったところに案内してくれた。彼らからすれば会社の金で普段食べられないような豪勢な料理を食べられるのだから、彼らなりに調べた結果のチョイスだったのだろう。

こう言うレストランでは日本語のメニュー等あろうはずがないし、私は料理の選択が一切出来ない。タイの技術者に任せるしかないのだ。ただ彼らは「○○は食べられるか?」、「辛くても大丈夫か?」と確認しながら主にカニや海老の料理を頼んでくれた。勿論私が食べたことのないようなタイ料理もたくさん出てきた。

私が知っているのはミーゴレン(焼きそば)とナシゴレン(焼き飯)それにトムヤムクンぐらいの物だ。この三種類にしても加える中身で色々と名前が変わってくるのだから彼らが色々と説明してくれて私の好きそうなものを選んでくれた。

バンコク市内のレストランで食べるより格段と美味しく感じられた。

彼らとは車でレストランに来るのだが、彼らは平気でビールを飲む。勿論私に付き合ってくれてのことだ。彼らはこれで自宅まで帰るのだから完全に酒酔い運転だ!!

出発時刻の2時間ぐらい前になるとタクシーを呼んでくれて私を空港まで送ってくれるのだ。しかし彼らは、料理が残っているといって帰ろうとはしない。そのため、彼らと最後まで一緒に食事をしていることはなかった。

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2008年10月24日 (金)

毎日の夕食inバンコク

現場での昼食は前回書いたように現地の技術者や作業者と一緒に近くの食堂とも言えない所で食べていたが、夕食は1人で食べることがかなりあった。時々は彼らが食べに連れて行ってくれるときもありこの時は本式のタイ料理を食べることが出来た。

1人で食べるにしても毎日同じ物は食べずにアチコチの食堂やレストラン(?)を回って歩いた。

歩いて10分ぐらいのところにあるショッピングモールのフードコートであったり、モール内のレストランであったり、近くのホテルの夕食バイキングであったり、道路沿いの海鮮レストランであったりした。

とにかくタイ語が分からないし読めないので写真で料理が説明されているところを選んで入っていた。

写真にある番号を言えば済むのでこの方法は至極便利であった。ただし、味は写真では分からないので、辛かったり、甘かったりで失敗することもあった。

日本と同じ様にテーブルには調味料が置いてあり、自分の好みに合わせればいいのだが、これがまた難しい、どの調味料が辛く、どれが甘いのか見た目では判断がつかないからだ。仕方がないので先ずは手の先にそれぞれの調味料を少しずつつけて舐めてみるのだ。これぞと思った調味料を加えれば良い。

味の他に困ったのは食事の量だ!! 一般的に出てくるも一人前の量が少ないのだ。私は大して大食いではないが、そういう私にでも「少ないな」と感じるぐらいだ。ただ、これを二人前頼んでしまうと食べ過ぎてしまうから中途半端であった。

そういう面からすると、バイキングレストランは好きな物を好きなだけ食べられたし、量の調整も簡単だから結構便利に使っていた。

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2008年10月20日 (月)

現場の昼食inバンコク

出張していると三度の食事が楽しみだ。特に現地でしか食べられない食べ物に逢ったり、特殊な雰囲気に囲まれての食事は好奇心もあり楽しみなことだ。

このバンコクの現場での昼食もその特殊な雰囲気と言う面で面白かった。

大手の放送会社だから当然、自ビルにレストランは持っている。ある程度は綺麗だが値段は高い!!

ほとんどの従業員はこのレストランを使用していなかった。我々も休憩時に飲み物を飲んだり、たまに食事はしていたが、昼食のほとんどは近くにある普通の食堂で摂っていた。私一人ではとても入れる雰囲気の食堂ではないが現地の人達と一緒だからごく普通に振舞えた。

日本ではお目にかかれないが、開発途上国ではこう言う大きなビルの敷地の近くには必ずと言っていいほど小さな食堂がある。このバンコクの現場でも同じだった。ビルの敷地(ゲート)を出ると道の両側に小さな汚い食堂や、食べ物を売る屋台がたくさん並んでいた。

食堂と言っても建物の中ではない、一般の家の庭先にブルーシートを掛けて屋根にしたり、ビーチパラソルを屋根代わりにしたお粗末なものだ。ここに有り合わせのテーブルと揃っていない椅子が置かれているだけだ。

食事もカフェテリア方式で作り置きの物があったり、頼めば作ってくれたりで自分の好きなものが目の前で選べる。一般的なものでは「チキンライス」に人気があった。

これは、皿に盛った米飯に鳥の揚げたものを載せて汁をかけるというシンプルなものだ。

タイ語が分からない私は誰かの後について同じものを注文するか、作り置きの物の場合は指でさして食べたい物を選んでいた。慣れてくれば一人ででもこう言う食堂に入り、注文し、食べられないことはないが、やはりタイ人がいて出来た貴重な体験だ。

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2008年10月18日 (土)

不安定な構造物inバンコク

今まで、数回にわたりバンコクの大型スクリーンの事を汚い現場で、十分な強度計算がされていないなどと書いてきたが、いよいよ、全体の組み立てが終わりに近づくと構造物の全容が見えてきて、益々私の心配ごとが増えてきた。今日示す写真は最後の調整段階にあるスクリーンだ。

Shinawatra_video_6_2 

この写真で全体的なデザインはさほど悪くはないのだが片持ち構造と言うものがいかに不安定な形をしているのが分かるだろう。

後ろの建物と見比べてみて実際にスクリーンを保持している垂直のポールが内側に湾曲しているのが分かるだろうし、スクリーン全体も左側が下がっていることが分かるだろう。

簡単な設計図を見たときからこうなることは分かっていたが実際に形が見えてくると更に不安定さがヒシヒシと感じるようになった。

これは、デザインや安全性の面だけでなくスクリーンを組み立てる時にも大きな影響があるのだ。0.1ミリメートルを要求するユニットの取り付けではこのスクリーンのフレームの歪みは大きすぎて調整が出来ないのだ。

水を使ったレベル計で測定してみてもスクリーンの右側と左側では10cmメートルぐらいの高さの差があり、取り付け穴を全部開けなおさざるを得ないと判断した。

発注者にこの事態を説明し、緊急の全体会議を開き、発注者側からフレームの製作業者に無償で修正するように指示をしてもらった。

この再穴あけ作業は高所作業だ。高いプラットフォームの上に更に足場を組み立てての作業だし、不安定なポールの上に取り付けられているので全体が良く揺れる。目まいの様な感じの揺れ方だ。

それでもユニットと同じ形のゲージを使って一つひとつ再穴あけを行いユニットを付けて行った。

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2008年10月16日 (木)

傾いたフレームinバンコク

私の忠告や助言などどこ吹く風で仕事を進めてきた現場でどうやらフレームが完成した。並行して進めていたポールも立ち上がった。地上で組み立てていたのでソコソコの出来にはなっているが、とても日本で作るフレームのような綺麗には出来ていない。

さて、次はこのフレームを吊り上げてポールの先端に取り付ける事になるのだが、矢張りこの作業は怖い!!

前にも書いたように溶接があまり上手くないので、吊った途端に「ガシャ」と崩れてしまうのではないかと心配は絶えない。とは言っても吊り上げなければならないのだ。

大きなクレーン車を持ってきて、恐るおそる吊り揚げ作業を開始した。ロープがピンと張り始めるとビシビシという音とともに色々な小物が落ちてくる。フレームが10cmぐらい持ち上がった状態で作業を止め、変形しないか、壊れないかとしばらく様子を見ていた。日本では考えられない作業方法だ。

一応、大丈夫と言う判断の元でロープを巻き上げ、地上10mのポールの先端と同じ高さまで吊り上げた。そこからポールの先端とフレームの位置あわせのため地上のロープを操りながら微調整が始まった。

危険でもあり、私の口出すところではないので遠くからこの作業を眺めていた。

作業者がポールの先端に半身を出して、何とか位置決めをしてボルトを締め始めた。何10本もあるボルトを締め終わるまでクレーンのロープは張ったままである。

1時間ぐらいでボルトを締め終わり、いよいよロープをはずすと垂直のポールが微かに弓なりにしなり、フレームの先端が下がってきた。

やっぱり思っていた通り、フレームが曲がってしまったのだ。大型のスクリーンを作るためにはフレームの曲がりは大きな障害になることは分かっているが、それよりもいつか倒れてしまうのではないかとポールのしなりの方が気になった。

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2008年10月14日 (火)

汚い組み立て現場inバンコク

バンコクは高層ビルが立ち並ぶ一方で道路の直ぐ脇には汚いドブ川があったり、屋台が出ていたり、犬がゴロゴロしていたりでまさに開発途上国そのものの縮図を示している。

フレームの組み立て現場は放送局が入ったビルの芝生を敷き詰めた庭にあったのだが、ここから5mも離れていない所には真っ黒な水が淀んだドブ川があり、ブクブクと泡が出て異臭を放っていた。これが一流企業の庭先なのだ!!

現場で働く作業員達も現場をきれいにして安全管理をすると言う意識がほとんどない。材料はあちらこちらに置きっぱなし、食べ物の入れ物はそのまま放置しているし、各自の作業はあちこちで適当にやっているなど。本当に歩くのにも気を付けないといけない様な現場なのだ。

ここに一度に日本流の現場管理の方法を取り入れたり指導することはとても困難な状態だったから、「郷に入れば郷に従え」で全てを彼らに任せ、私は自分が怪我をしないようにしながら、実作業を見守っていた。こう言う現場で下手に口出しして事故でも起こしたら大変なことになるから、気が付いたところを注意したり、聞きに来た時にアドバイスをするようにしていた。

こんな危険で汚い現場にも自宅から子供を連れてきて遊ばせている作業員もいるし、夫婦で一緒に来ている人も居る。「この国の安全管理はどうなっているのだ?」と思ったほどだ。世界各国で色々と仕事をしたが子供を現場に連れてきたのはここが初めで最後だ。仕事が終わるようがたになるとバイクに子供達を乗せて帰っていく。

こう言う作業員と作業環境での仕事だから、仕事はスケジュール通りには進まない。幾ら「スケジュールを立てろ!!」、「工程表を出せ!!」と言っても「馬の耳に念仏」だ。

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2008年10月11日 (土)

現場での骨組みの組み立てinバンコク

タイで大型スクリーンを設置するのは初めてだったので販社の技術者2名を付けてもらい彼らを教育しながら鉄骨業者の設計を指導すると言う方法とった。

ここのスクリーンは完成時に対象形ではなく、片方に荷重が掛かるいわゆる片持ち方だったから当然スクリーンは歪むだろうと考えていたし、支える鉄筒も片側は圧縮、反対側は伸展という荷重が掛かるので設計上は難しいのであったが、販社が発注した業者は計算も出来ないような零細なところだった。

私は計算書とフレームの図面を要求したが計算書は最後まで出てこなかった。図面はわずか1枚で細い線で書かれていてその上に使用する鉄材の大きさが書かれているものであった。

この業者はバンコクの市内に広告塔をたくさん建てた経験があるということで、その経験だけで0.1mmを要求する大型スクリーンのフレームを作ろうとしているのである。

私が一番知りたかったのは片持ち構造で先端がどの位歪むかという事だったが、計算できない業者なので答えは得られなかった。

更に、この業者は工場を持っていなかった。現場で材料を切断し溶接をしていくという原始的な方法を取っていた。片持ちのような荷重が偏る構造物は普通溶接のような剛構造は取らない。そこに荷重が集中して破壊してしまうためだ。私もその事を何度も指摘してできる限りはガセットプレートとボルトを使用した柔構造にするように要求したのだが、彼らは「経験上大丈夫だ」と頑として聞かない!!

更に、更に、溶接がいい加減なのだ。日本では溶接作業をするのには資格が必要だ。タイでは必要ないとのことだった。その溶接たるや素人の私でも出来るのではないかと思われるほどの粗末なもので、本当に鉄材が溶けて

接合しているのか怪しいほどのものだった。私は何度もハンマーで叩いて確認したほどだ。

しかも、地上で全てを組み立てたものを吊り上げて鉄筒の上に設置すると言う工法だから地上での仕事が結構長かった。 続きは次回に!!

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2008年10月 9日 (木)

犬がゴロゴロinバンコク

タイは仏教国だから動物の殺傷はあまりない。特にそれを感じたのは大きな犬が道端にゴロゴロと横たわっているのをたくさん見た時だ。誰も飼っている様子もないし、餌をやっている様子もない。みなやせ衰えて元気がない。人が傍を通っても鳴いたり寄ってきたりもしない。みな力なく横たわっているだけだ。

確かに殺傷はしていないにしろ餌もなく、放置して置くだけで狂犬病の予防接種などしていないだろう。これはかえって動物の虐待にはならないのだろうか?

不思議なことに小さな犬は見かけない。どの犬も日本で言えば中型犬から大型犬の間ぐらいの大きさだから、初めて行った時は怖かった。そして、もう一つ困ったことは、生き物だから当然排泄はする。この排泄物が道のいたるところに落ちているのだからたまらない。日中は明るいから見えていても暗くなれば踏みつけてしまう可能性もある。

後進国はどこでもそうだが、道端のいたるところに食べ物を含めた露店が出ている。こう言う露店は水を垂れ流しにしているし、食器類もここで洗っている。犬達の多くは恐らくこの露店から出るあまり物を餌にしているのだろうから、食べ物屋の近くにいることが多いのだ。不衛生なこと極まりない。

露店では何回か食べ物を買ったが、矢張り犬の居る様な所は避けた。これは人情だろう。

後日談だが、この不衛生状態を解消するために政府が犬の捕獲をしたと新聞に出ていた。同じ様にマッサージパーラーは国のイメージを悪くすると言う理由で取締りを強化して一時は火が消えたと言う事だが、また復活してきているようだ。

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2008年10月 7日 (火)

マッサージパーラーの探検inバンコク

派手なネオンの看板は皆マッサージパーラーのものだった。「Massage」と毒々しく書いてある。

その真っ只中に予約してくれたホテルがあった。シンガポール人がニヤニヤしていたはずだ。

ホテルは5000円/1泊と値段が安いし朝食もついている。その割りには部屋も大きいし設備も整っている。

飲用水も毎日ペットボトル2本が必ず無料でテーブルの上に用意されているし、近くの別なホテルでは夕食のバイキングが安く食べられるし10分も歩けばショッピングモールもありこの中にはフードコートもあって食べ物には不自由しない。唯一販社に行くまでは車で30分は掛かるのだが難点だったが、毎日販社のドライバーが迎えに来てくれるから何も不便とは感じなかった。

ホテルの直ぐ隣に「総合娯楽センター・シーザー」と書いたネオンが付いた大きな建物があった。この建物の看板には「レストラン」、「映画館」、・・・・・「Massage」とある。

興味をそそられて中を見てみることにした。先ず中に入ると「喫茶店」のようなスペースがあって何人もの「男性」が喫茶していた。その脇を見ると大きなガラス張りの部屋があり、番号札を胸の辺りにつけた20人ぐらいの女性がひな壇に座っている。「なるほど、これがマッサージパーラーか」と直感した。

恐らくこれはヨーロッパで言う「飾り窓」なのだろう。ヨーロッパで見た時は個人経営で自分の飾り窓を持っていたのだが、バンコクではもっと組織化されていたのだろう。

しばらく様子を見ていたら、この喫茶コーナーにいた男性たちはガラス越しに女性を物色していたことが分かった。男性が立ち上がってボーイに何かを話している。すると中にいた女性が1人立ち上がり部屋の外に出てきた。きっと男性が指定した番号の女性なのだろう!! 男性はボーイとそのまま中に消えていった。

「なるほど」と関心しきりで、ボーイに話をしてみた。「幾らだ?」と私が聞くと「2000バーツ(約6000円)」と言う返事が返ってきた。ベルギーの飾り窓で聞いた「50ユーロ(7000円)」とさほど変わりは無い。

この世界の普通の相場なのか? 

その後も、暇があれば他の「マッサージパーラー」を探訪した。娯楽のコンプレックスになっているところもあれば「Massage」だけのところもある。どこに行っても同じ様なガラス張りの部屋があり中に女性が座っているところを見ればシステムとしては同じなのだなと思った。

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2008年10月 3日 (金)

タクシン元首相の会社の仕事inバンコク

2001年から2002年にかけてタイのバンコクで仕事をした。

当時の首相だったタクシン氏の所有する会社の一つでテレビ会社の仕事だった。

大型のスクリーンにテレビと同じ広告を出し、自動車道路から見えるようにすると言う企画で東南アジアでも初めての試みだ。この仕事には幾つもの新しい試みがされていて技術的にも難しいものであった。

この仕事の話でバンコクに入るように指示されたのがシンガポールで仕事をしている時だった。シンガポールとタイは比較的近いからシンガポールの仕事が一段落したらバンコクに行って販社とお客さんの所に寄るようにと言われた。直ぐにバンコクと連絡を取り、日程を調整し、ホテルを予約してもらった。この時がタイ、バンコクは始めての訪問だった。

シンガポールでの仕事の途中にシンガポールの販社の技術者にこの話をすると「ホテルはどこだ?」と聞かれた。

「マーチャンダイズ・ホテルだ」と言うと彼は「そうか、あの販社はいつもあそこだな!!」と、言いながらニタニタしている。気持ちが悪いので更に深く聞くと「周辺にマッサージパーラーがたくさん有るんだ!!」と返事が返ってきた。「マッサージパーラーって何だ?」と更に突っ込むと「ホテルに行けば分かるよ!!」と軽くあしらわれてしまった。よくよく聞くと彼がバンコクに行く時も販社はこのホテルを予約するのだそうだ。

さて、シンガポールの仕事が一段落してバンコクに向かった。当時は都心に比較的近いドンムアン空港がバンコクの入り口であった。ここで入国しタクシーを捜す。初めての国で一番怖いのが最初に乗るタクシーだ。

その国によりタクシーの事情が違うので(保安・乗客の安全と言う意味)最初に到着ロビーのインフォメーションに行ってタクシーの乗り方を教えてもらわなければならない。確か、この時も、事前にタクシー乗り場の窓口に言って行き先を告げ紙を1枚貰ったような気がする。その窓口で一応目安の料金を聞きボッタクられないようにしたと思う。

初めての都市は地理感覚がないからどこをどう走っているのかは見当がつかないし、とんでもないところに連れて行かれるのではないかと心配になる。それでも段々と都会らしい明るいところに近づいてきたのでホッとした。

遠くにホテルらしい建物が見えてきて、運転手が指を刺して「あそこだ」と教えてくれた。これでやっと安心できるのだ。ホテルは大きな道に面したかなりネオンが派手なところにあった。  続きは次回!!

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2008年10月 1日 (水)

埔里 (プリ)から台中経由で台北へ

仕事が大分進んだ頃に最終調整を行うために日本から若い技術者を呼び寄せた。私は過去にオーバーステイで拘束されたことがあり、二度も同じ事を起こす訳にはいかないので、この仕事の締めを若い技術者に託して帰国することにした。

埔里 (プリ)に入ったときは台北から販社の技術者達と車で一緒に来たから問題はなかったが、台北に帰るに当たっては一人で帰らなければならなかった。中台禅寺での仕事は詰めに入っていたし、台湾人の誰もが手を抜くことが出来なかったからである。

埔里 (プリ)→→台中→→台北と移動する上で一番の難関は台中でのバスの乗換えだと言うことは販社の人たちは分かっていた。その為に販社の人が台中まで車で送ってくれて台北行きのバスに乗せてくれると言う。有難いことだった。現在ならば新幹線があるので埔里 (プリ)でバスに乗せてもらえれば自分で台北まではそう苦労することもなく行き着くだろうが、当時はバスだけの乗り継ぎで日本人外利では危ないと判断したためだろう。

実際に台中でのバスの乗り継ぎは難しかった。確かにバスターミナルはあるのだが、日本のように整備されたものではなく車庫のような建物がたくさん有りその中から各地に行くバスが別々に発車しているのだ。だから恐らく私一人では到底どのバスに乗っていいのかわからなかったに違いない。

販社の人が親切に案内してくれて切符の買い方まで指導してくれ、バスが入線し、私が乗り込むまで見届けてくれた。本当に助かった。

バスは台北までノンストップだし終点で降りればいいので安心して窓の外を眺めていた。確かその日は雨模様だった気がする。車内から窓を拭き拭き外を眺めて台湾の田舎の風景を楽しんでいた。

その日には帰国できる便がなかったので台北に一泊し、翌日いつもの個人タクシーを呼んで中正機場まで行ってもらった。

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