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2008年12月31日 (水)

二回目の招待inブルネイ

仕事が一段落したころこの王族の人が私と3人のマレーシア人を自宅に招待してくれた。

この時は食事ではなくお茶を飲みながらの今回の仕事の「ご苦労さん会」だった。

この時、初めてブルネイの王族の人の家に入った。前回のホームパーティーで外観の全容は見ていたが、内部も矢張り広かった。通されたのは応接間のような雰囲気がある30畳ぐらいの広い部屋で大きな応接セットが二組置かれ、白塗りの壁でゆったりとしたスペースの部屋のいたるところに花が飾られて華やかな感じだった。

応接セットの一組に4人で座った所で奥さんが二階から降りてきた。奥さんが部屋の隅にある小さな台所のような所でコーヒーを入れてケーキと一緒に我々に出してくれた。

それからしばらく王族の人を含めて6人で色々な世間話をしていた。奥さんも英語が達者で意思の疎通は十分に出来た。勿論日本人と話すのは初めてのことだと言い、日本や私の家族について色々と興味を持って私に尋ねてきた。私も知っている限りの知識でそれに答えた。マレーシア人の中には会社のトレーニングのために日本に来た事がある人が居て、その人が私の答えを裏付けてくれていた。

時々、二階から子供達の声が聞こえたので子供達のことを尋ねると女の子が2人居て、1人はまだ就学前だということだった。その子は我々に興味津々と言うことらしく、階段の途中まで降りてきて我々を見ていたので手招きをすると恥ずかしそうに二階に戻ってしまった。子供はどこの国でも同じだ。

かれこれ1時間半くらい話をして帰ってきたが、本当に有意義な体験だった。

色々な国で多くの家族に招待されてきたが、どの家族との会話も有意義であったが、特にイスラムの王族の家の中に入れた経験はそう多くの人が持っているものではないだろう。

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2008年12月29日 (月)

ホームパーティinブルネイ

仕事をしている我々に対して、発注者の王族の人は非常に親切で懇意にしてくれた。何回かの滞在中2回ほど自宅に招待してくれた。1回は全員参加のホームパーティでもう一度は私とリーダー格の人で招かれたテーパーティだった。

ホームパーティに招かれたのはマレーシア人5人と私、それに彼の会社の社員で一緒にスクリーンの設置作業していた2人だ。

彼の家の位置は良く分からないのだが、私のホテルから、ほとんど車が通っていない高速道路で30分ぐらいの所にあった。高速道路を降り、しばらくすると街中にある家より確かに違う大きな家が道の両側に並んで立っている場所に出た。彼が言うのには周辺にある家は皆王族の人の家だと言う。彼の家もその一番奥に在った。

車庫に車を入れると、今乗ってきた車の他に2台の車が駐車してあった。つまり彼は3台の車を持っているのだ。

まあ、日本で言うセレブクラスか??? でも王族の一人なのだ。

バーベキューパーティで彼の家の敷地で行われた。マレーシア人もブルネイ人もイスラム教徒だから豚肉は食べない。従って肉は牛肉と鶏肉だ。自分達の好みの肉をバーベキューコンロに載せ焼きながらの談笑なのだが、インドネシア人は一般的にあまり酒を飲まないから彼らは甘いソフトドリンクを飲んでいる。酒を飲んでいるのは私ぐらいか!!

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私も焼肉に甘いソフトドリンクを試してみたが、酒飲みの私にはとても耐えられない味だった。

それでも色々な話が出て楽しい時間を過ごせた。マレーシア人とブルネイ人が話す時はマレー語だが、私が加わる時はみんな英語で話をしてくれるので、笑える所は一緒に笑えるし分からなかったり不便さは感じなかった。

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仕事の延長としてこう言うパーティを開いてもらえると人間関係がより密になるし、次の日からの仕事もやりやすくなる。こう言う面でこの王族の人はザックバランであり、一般の人の中に深く入り込んでいるのだろう。

上の写真の右から2人目で赤シャツの人の隣が王族の人。下の写真の真ん中の白いシャツが私。

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2008年12月26日 (金)

ナイトマーケットinブルネイ

バンダル・セリ・ブガワンの港から私が泊まっていたホテル、シェラトン・ウタマまでの間に日中開いている市場が有った。大通りの脇の小さな川に沿って50軒ぐらいの常設の小さなお店が並んでいた。掘っ立て小屋まで行かない仮設のお店で壁などない。隣同士がくっついているお店だ。ここは野菜や果物が主体の市場のようだった。

どの国に行っても必ずこの様なお店や市場に出っくわすし、ナイトマーケットにも出っくわす。

ある時、王族の人が「ナイトマーケットに行こう」と言い出し、私を初めマレーシア人がこぞってついて行った。

車2台で行ったのだが知らない土地なので何処をどう通って何処に行ったかは定かではない。

着いた所は駐車場のような広い所でたくさんの屋台がひしめいていた。ここは常設ではなく開く日にちが決まっているとの事であった。 かなり広いし混雑していたため「迷子になったらここに集まれ」と指示され、三々五々屋台の間に入っていった。とは言っても私はほとんど王族の人と一緒だったし、マレーシア人たちは2組ぐらいにしか分散していなかったが!!

屋台のお店は圧倒的に食べ物のお店が多く、サテー(日本の焼き鳥のつくねのような物)や果物のジュース、缶ジュース、缶ビール、ミーゴレン(焼きそばのような物)を売っているお店が多かった。

そんなに高いものでもないので缶ビールを片手にサテーを食べたり、ミーゴレンを食べたりしていた。食べ物は皆それぞれに頼んでいたる座る所がないので立ち食いだというより歩きながら食べているという状態だ。

とにかく、お店も多く、何処から人が出てくるのだろうと思うぐらいに人で溢れていた。ブルネイは暑い国だし、日中のマーケットではそうは人が集まらないだろう。矢張りその土地、土地にあった文化が発達するのだ。

1時間ぐらいでお腹が一杯になり、くたびれたので帰ろうとしたが、今度は皆が集まらない!! 一つのグループで1人だけが探しに行き、それを何回か繰り返し15分ほどでやっと全員が集まり無事に帰ることが出来た

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2008年12月24日 (水)

国王の誕生祝賀パレードinブルネイ

バンダル・セリ・ブガワンでの仕事も順調に推移して調整の段階に入った7月に発注者である王族の人から7月の中旬に国王の誕生日があり、この日に大きな祝賀パレードがあるのでスクリーンを使ってこれを映したいとの要望があった。

祝賀パレードはスクリーンの前を通ってバンダル・セリ・ブガワンの港の方に進むと言う。

王族の人にとってはスクリーンを宣伝するいい機会だ。我々にとっても調整で実写が出来るので調整具合を確認するいい機会であるので、この申し入れを受け入れて準備を進めた。

映像は地元のテレビ局が作成した物を受信してスクリーンに映す物であるが、直接受信する場所はスクリーンの近くではなく、王族の人が起こした宣伝会社の事務室である。ここから光回線でスクリーンに伝送するブルネイでは初めての試みなのだ。

当日、全員が配置についてスクリーンの近くには私が待機した。しばらくすると道の山側からザワザワと小さな声が聞こえてきた。パレードが近づいてきたのだ。スクリーンを見ると人々が歩いてくるのが写っている。

取りあえずは、映像が出ていることにホッとしてパレードが来るのを待っていた。声が段々と大きくなり先頭の集団が見えてきた。道一杯に広がった若者を先頭に老若男女の集団が手に手に旗を持ち、横断幕を掲げて近づいてくる。先頭がスクリーンの前を通り始めると、自分達がスクリーンに映し出されていることが分かり、みな、スクリーンの方を向いている。皆喜んでいるし取りあえず皆に知らしめることには成功した。

パレードは大きな声を上げるわけでもなく、黙々と港の方に進んでいく、その人数の多いこと!!  

パレードが全て通過するのに15分ぐらい掛かったであろうか? これから換算するとパレードの長さは1キロ以上あっただろうから、人の数からすると数万人は居ただろう!! 人口37万人の国で街中に住む人達がほとんど集まったパレードのように思えた。私はデモであれ何であれこの様な大きな行進を見たことがなかった。

それだけ国王が皆に慕われているという証拠だろう。

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2008年12月22日 (月)

自然の中の公園inブルネイ

バンダル・セリ・ブガワンに滞在中に何度か日曜日が有った。勿論、仕事は休みであるのだが、私の性格上ジッとしてはいられない。

バンダル・セリ・ブガワンの街中の散歩も飽きたので、ホテルのコンシェルジュでどこか良い所はないか尋ねてみた。コンシェルジュの担当者は「ホテルの近くに滝のある公園がある」と教えてくれて地図を描いてくれた。

早速支度をして(暑いので水をたくさん持ち、帽子を被って)出かけてみた。ほとんど誰も通らない大通りを歩くこと15分ぐらいで教えられた通り山の中に入っていく目印が見えてきた。

ここからあまり綺麗ではない舗装された道路をてくてくと歩いていると左側に小川が見えてきた。なるほどこの小川の源流あたりに滝があるのだなと思いながらさらに歩いた。両側はうっそうとした森である。車にも人間にも会わない。私一人が黙々と歩いているのだ。

さらにしばらく歩くと建物が見えてきた。公園の管理事務所だ!! ここで初めて車が止まっているのが見えたので「人間がいるのだ」と感じたくらいだ。

ここから先は少し広くなり自然の公園らしくなってきた。遊歩道も整備されているし、小川に掛かる小さな橋も整備されている。遊歩道に沿ってドンドン奥に入っていくと水音がしてきた。目指す滝だ。

澄んだ水の中に何か生き物がいるか調べながら歩いていくと高さ15m位の小さな滝が現れた。

ブルネイは比較的平坦だと思っていたが、ここで初めてブルネイが自然の宝庫カリマンタン島(ボルネオ島)の一部であることを思い出した。当然奥に行けばもっと自然があり、大きな滝があるのだろうと。

靴を脱ぎ、水に足を入れたりしながらここでしばらく時間を潰したのだが、とにかく人間に会わない!!

遊歩道を一周して帰途に着いたが結局、この2時間あまりのショートジャーニーの間、人っ子一人とも会えずだった。これが本当の自然なのだ。

事によると日中は暑すぎて誰も動かないのかもしれない。自室に帰りシャワーを浴び冷房の聞いた部屋でビールを飲んでやっと現実に戻った。 

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2008年12月20日 (土)

空港でのトラブルinブルネイ

大型スクリーン設置の最終段階になって、調整の技術者を日本から呼び寄せた。

毎日、現場と日本とで状況のやり取りをしていたので、調整技術者もオンタイミングでブルネイにやって来た。

ところが到着した空港でチョッとしたトラブルに巻き込まれてしまった。

バンダル・セリ・ブガワンの空港は日本の地方空港より小さいが一応国際空港だ。

ボーディングブリッジも無く乗り降りはタラップだ、そして小さなターミナルビルまでは徒歩だ。ターンテーブルも一つしかない。1日に離発着する飛行機の数が多くないのでそれで十分なのだろう。

到着便が分かっていたので、皆で大挙して空港まで迎えにいった。待つことしばし、飛行機が到着して彼がタラップを降り、ターミナルビルに入るのが見え、ターンテーブルの所で待っているのも見える。まさにローカル空港だ。

直ぐに出てくるなと思っていたらカスタムチェックで引っかかってしまった。外では何が起きているのかは分からない。その内、彼は事務所の中に連れて行かれてしまった。乗客が全て出てくるまで去ってしまっても彼は出てこない。

それでも待つしかない、30分ぐらい待った。王族の人が「私が行って様子を見てくる」と事務所に出かけて行った。彼は恐らく王族の一員であると言うパスを示したのであろうがそれでも中に入れなかった。

しばらくすると調整技術者が見えるところに出てきて手招きで私を呼んでいるので行って見ると、トラブルの原因がやっとわかった。彼が特殊な測定器を持っていてそれがピストルに似た格好をしていたので引っかかってしまったのだ。

スクリーンの輝度を測定する輝度計なのだが彼が十分に説明できなかったのだ。そこで私が仕事の内容と輝度計の用途を説明し、実際に蛍光灯の測定をして見せ銃器やピストルではないことを認識してもらい、やっとその場を切り抜けることができた。彼が事務所に入ってからかれこれ一時間ぐらいかかりやっと無罪放免された。

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2008年12月18日 (木)

大勢の日本人に会うinブルネイ

何回目かの訪問の時に白い制服を来た大勢の日本人が三々五々にバンダル・セリ・ブガワンの街中を歩いているのに出くわした。こんな所で日本人に会うなんて非常に珍しいことだ。それも大勢に!!

彼らは海上自衛隊の隊員で練習航海の途中で艦隊が表敬訪問したようだ。

彼らの帽子には所属する護衛艦の名前が入っていた。三種類の名前があったので三隻での寄航なのだろう。

バンダル・セリ・ブガワンの港に行ってみたが護衛艦は見当たらなかったから、遠方の港に停泊したのだろう。

丁度私が止まっていたシェラトン・ウタマ・ホテルが集合場所になっていたようで、ホテルのロビーにも大勢の制服を着た自衛官がたむろしていた。ここからバスの送迎があると言う事を聞いた。

それまではバンダル・セリ・ブガワンに日本人は私一人しか居ない物だとばかり思っていたので、現地の人には目立たなかったと思うのだが、これだけ大勢の制服の日本人が歩いていると帰って現地の人達が珍しそうに見ている。現地の人より日本人の方が多いのではないかと思ったくらいだ。

現地の人は東南アジアではどこでも同じだが、建物の入り口の所に座り込み皆を見ているのだ。

前に書いたショッピングセンターの中国料理屋にも三人ほど居た。私も彼らが見えるところに座ったのだが、彼らも私が現地人ではないと認めたようでチロッ、チロッと流し目で見ていた。

翌日には一人も見ていないので艦隊が出航したのだろう。彼らにとってはつかの間の上陸だったに違いない。

それ以前にも、以後も私のこの仕事でバンダル・セリ・ブガワンに来た日本人一人を除いて日本人は見ていない。

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2008年12月15日 (月)

ウォーター・スライダーに乗るinブルネイ

前回に続いてジルドンパーク遊園地の遊具に乗った話だ。正式な名前は分からないが、二人乗りの船で水路を通った後に高い所から一気に下のプールに流し落とされると言う遊具だ。

かって日本の遊園地にも有ったウォーター・シューターとは少し趣が違った遊具なのでウォーター・スライダーとでもしておこう。

マレーシア人達があまり怖い遊具が駄目らしいと言うことが分かったので、皆でおとなしい遊具を探した。

そこで見つけたのがこのウォーター・スライダーだった。二人乗りの小さな船に乗り水路をめぐる訳だから小さな子供でも乗れるし最後に下のプールに流し落とされるときだけ少し緊張があるだけだ。

そう思ってマレーシア人とこの遊具に乗った。私は一番懇意にしていたマレーシア人と乗ったのだが、どちらが船の先頭に乗るかで譲り合っていた。先頭は最後に水しぶきを浴びるだろうとお互いに思ったからだ。

最終的にマレーシア人が前に乗り私が後ろに乗った。

最初は緩やかな水の流れに乗って水路を下っていった。ここまでは何も問題はなかった。ところがである!!

最後にプールに突入する直前になって船が一旦止まった。それからおもむろに回転したのだ。つまり私が乗っている後方が先頭になったのだ!! そして一気にプールに突入した。

正直言ってこれにはビックリした。私は背中を向けてプールに突入し水しぶきを浴びてしまったのだ。誰がこんな仕掛けが有ると思っていただろう!!

他の船に乗ったマレーシア人達も次々に背中からプールに突入してくる。

船を下りた二人はこの仕掛けに大笑いだったし、他の船に乗った後続のマレーシア人達の慌てぶりにも大笑いだった。

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2008年12月12日 (金)

フリーフォールに乗るinブルネイ

ジルドンパーク遊園地の中を8人で歩き、色々な乗り物(遊具)に乗った。マレーシア人達にはこの様な遊園地は初めてだったようで嬉々として色々な乗り物で遊んでいた。大の大人がである。勿論私もその1人だ。

その中の一つにフリーフォール(自然落下)があった。高い塔のところに来て、これに乗ろうと誘うと「これは何だ」と言う質問が帰ってきた。私は日本で何回か体験していたので、それを説明するとマレーシア人達は皆後ずさりして乗ろうとはしない。ある人は俄かに高所恐怖症になったり、ある人は調子が悪いとしり込みしている。

日本では子供達が大好きでたくさんの子供達が乗っていると説得することしばし、やっと3人がトライすると言ってくれた。私を含めて4人になった。ここのフリーフォールは座席が四つだったので、これで何とか遊ぶことが出来た。

椅子に座り方からの安全装置を付ける頃になると、座っている人も見ている人も無口になって怖さを必死にこらえているのが良く分かった。徐々に椅子が上がり始めると見ている人達が手を振り始めた。やっと我に帰ったと言う感じだ。

段々と高度が上がりスピードが落ちてきた。私は何度か体験しているので次に何が起こるかは分かっている。彼らは初めての体験だからこれから起こることがわからない。心配そうな面持ちだ。

椅子が止まり、「さぁ~、来るな」と思った瞬間にお尻がスッと持ち上がり落下し始めた。マレーシア人たちは「ギャ~ッ」と言う悲鳴を上げていた。一瞬の出来事で無事下にたどり着くと彼らはハンカチを取り出して汗を拭きながら下で見ていた人達に体験談を話している。マレーシア語で話していたので何を話しているか分からなかったが、大笑いしていたのでお尻がスッと上がった時のことでも話しているのだろうと思った。笑いが中々止まらない。下に残っていた人達に「トライするか」と問いかけたら、皆、一斉に逃げ出してしまった。

恐らく怖かった事も話したのだろう。

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2008年12月10日 (水)

遊園地で遊ぶinブルネイ

ブルネイのバンダル・セリ・ブガワンの郊外に大きな遊園地があることは色々な案内書に紹介されていて有名だ。

国王が子供のために作ったと言う事だ。名前はジルドンパーク遊園地だ。

仕事をしているある日、王族の一人で今回の仕事の発注者が「休養のために皆で遊園地に行こう」と切り出した。

反対する人は誰も居なかった。それどころかマレーシアの技術者達は大喜びだった。

私も「仕事に差し支えないなら」と賛成したら、遊園地は夜間のみの開園だと言うことにさらに驚いた。仕事が終わって食事をしてから行けば良いと言うのだ。ブルネイは湿度も高く暑い国だからだと思うのだが子供達への影響はどんな物かと人事ながら心配になった。

当日、食事を済ませてから大人8人が二台に車に分乗し遊園地に向かった。ドライブすること15分ぐらいで遊園地が見えてきた。既に暗くなった敷地がイルミネーションで飾られている。ビックリするぐらいの大きさで綺麗に整備された遊園地だ。所々に高さがある遊具の塔が見える。日本の有名な遊園地に引けを取らない本格的な遊園地だ。

過去に読んだ案内書では全て無料と記されていたが、矢張り管理維持のため小額の入場料を取るようになったという。それでも確か大人1人が5ブルネイドルだったと思う。このお金だけで中の遊具は一切無料で乗り放題なのだ。

しかも、人が居ない!! 我々8人の貸しきり状態だ。どこに言っても直ぐに遊具に乗ることができる。待ち時間無しだし、遊具には必ずそれを運転する係員まで居る。営利を目的とする日本の遊園地では考えられないことばかりだ。

8人はバラバラになることなく一緒に行動しし色々な遊具にチャレンジした。ここで体験した面白い話は次回に書くことにするが、この企画が、一緒に仕事をしている我々の関係を密にしたことは間違いがなかった。

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2008年12月 8日 (月)

バンダル・セリ・ブガワンinブルネイ

ブルネイは小さな国だ。広さは三重県と同じぐらいで、ここに約37万人が暮らしているということだ。三重県の人口が約187万人と言うことだから五分の一の人口だ。つまり人口密度は三重県の五分の一と言うことだ。従って首都はバンダル・セリ・ブガワンでもそんなに大きな町ではない。5分も歩けば町の外に出てしまうぐらいの大きさなのだ。私が泊まっていたのはシェラトン・ウタマというホテルで街中まで出るのに7~8分ぐらいのところだ。夕飯を食べに行くのもあまり車の通らない道をテクテクと歩いていた。

マレーシア人たちは別のもっと田舎の安いホテルに泊まっていたのだが、車に乗れる人間の数に制限があり、私がはじき出され仕事場から歩いて5分程度のこのシェラトン・ウタマに宿泊することになった。

マレーシア人やブルネイの王族の人と夕食をすることは度々あったが、1人で街中に出て行くことも多かった。

「ブルネイは金持ちの国」と言うことだが、確かに産油国で人口が少ないので一人当たりの取り分は多いと思われるが、ほとんどが王様(スルタン)の懐に入ってしまうようで、一般庶民の生活や住居、市場等を見ても東南アジアの国、特にマレーシアの田舎やインドネシアの田舎と変わらない生活をしている。ただ税金や医療費、学費が免除されているということなので、国民には公平感はあるのだろう。

マレーシアやインドネシアの田舎と比べて違うのは道が整備されているということだろうか。どこに行っても一応は舗装されているし数は多くはないが綺麗な自動車が走っている。こう言う道でも一人前に信号機がちゃんと付いているのだ。

2枚の写真で風景を紹介しよう。上の写真は町の中心にあるショッピングセンターだ。マレー様式の大きな建物が2棟あり、お店がいっぱい入っているが買い物客は多くない。勿論食堂も入っているので私は夕食にこのショッピングモールを良く使っていた。建物の間に見えるのはモスクだ。ここはマレーシアと同じ様にイスラムの国だ。

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下の写真は町の中心から少し外れたところで仕事をしているカットだ。この写真から街中の様子が想像できるだろう。中央のサングラスの人が王族の一員で後はマレーシアの技術者達だ。

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2008年12月 5日 (金)

近くて遠い国ブルネイ

ブルネイはボルネオ島の一部だからボルネオの原始林の観光や野生動物の観察の玄関口になっている。しかし日本からブルネイに行くのには時間が掛かり大変な行程なのだ。何せ、バンダル・セリ・ブガワンへの直行便が無いからだ。日本から行くとすると台北や香港、クアラルンプール、シンガポールを経由するしか方法が無い。

私も何度かバンダル・セリ・ブガワンへ行ったが、何れもこのどこかを経由している。最も多いのが、マレーシアで仕事をしてマレーシアの技術者と一緒にクアラルンプールから飛ぶというものだ。これにしても一日1便しかないので相当に不便だ。

仕事が順調になってくると日本から直接バンダル・セリ・ブガワンに行くこともあり、この場合は行程を組むのに苦労した。香港経由にするか台北経由にするかである。

最終的には色々と考えた末に台北経由を選択した。何れの経由地を選択したにせよそこで一泊しないと乗り継ぎ出来ない不便さがあるのだ。台北を選択した理由は三つあり一つは午後便で日本を立てば夕方や夜には台北の中正機場に到着できることと、二つ目は飛行時間が短いということ、三つ目は飛行場に隣接して安いホテルがあるということだ。

この方法だと夜に中正機場に着いてそこのホテルに一泊し翌日の朝便で出発でき、昼にはバンダル・セリ・ブガワンに到着できるのだ。

もし直行便があれば5時間か6時間で到着できる距離を丸々1日掛けていかなければならない時間が掛かる存在なのだ。勿論帰りも同じで足掛け二日掛りの旅程を組まなければならない。

こう考えると昼間に出発してその日のうちに到着できるヨーロッパよりブルネイははるかに遠い国なのだ。

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2008年12月 3日 (水)

ブルネイの紙幣とマレーシアの通貨

ブルネイに行くとなると当然現地の通貨が必要になる。私がその事を心配しているとマレーシアの技術者たちは「心配は要らない、マレーシアの通貨がそのまま使える」と教えてくれた。しかも等価だと言うことだった。

確かにブルネイはボルネオ島にあり、ボルネオ島の大部分はマレーシアの領土だからお金の価値が大きく違うと不便だし使い勝手が悪いのだろう。

現在はシンガポールドルと等価ではあるが、マレーシアリンギとは等価ではないらしい。因みに今日調べてみたら100円が1.64ブルネイドルでシンガポールドルと等価であったのに対し、3.9リンギとなっていたか。

マレーシア通貨は当然持っていたのでひとまず安心だったが、いざ、実際に使用する段階になって矢張り気になった。食堂でおそる、おそる紙幣を出してみると問題なく使用できたのでこれで本当に安心できた。

しばらく滞在しているとマレーシアの紙幣が徐々にブルネイの紙幣に変わっていく。大きなお札を出しておつりを貰うからだ。

ブルネイでは丁度、新札が出始めたときらしく新札と旧札が混ざって流通していた。このことを私は知らなかったが顧客である王族の人が「これは旧札だから、記念に取っておいた方がいい。その内に価値が出てくるから」と教えてくれた。確かにブルネイの紙幣そのものが珍しい物だと思うし、旧札になればそれなりの価値は出てくるのだろう。私は1ドル札と5ドル札を大事に財布にしまいこんだ。

写真の上のものが旧札の5ドル紙幣、下のものが1ドル紙幣だ。

Img037_3

さらに下の物が新札の1ドル紙幣だ。少しシンプルな感じがする。

Img038

 

この他にも10ドル、25ドル、50ドルから1万ドルまでの紙幣があるようだが高額紙幣は普通の生活をしている分には必要ないし手元に残っていない。

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2008年12月 1日 (月)

マレーシアでブルネイの仕事をする

ブルネイと言う国名を聞いたことはある人は多いと思うが何処にあるのか知っている人は少ないと思う。

位置的に言えばマレーシアの東側、フィリピンの南側にあるボルネオ島の北西端にある。

Img036_2 

この国は石油が出ることで有名な王国で税金が無く、教育費、医療費も全額無料と言うことで有名な国である。

この国の仕事をマレーシアで行ったことがある。勿論最終的にはブルネイに出向いて仕事をしたわけだが、初期の打ち合わせはマレーシアの販社で行った。ブルネイには私が勤めていた会社の販社が無くマレーシアの販社が担当していたためである。

何度かマレーシアに行っている間に、ブルネイの王族の一人が会社を起こし我々の製品が欲しいと言うことになったらしい。そこで、マレーシアの販社が間に入り仕事を進めることとなった。

顧客となったこの人は名前の前に敬称がPgと付く王族の一員で、式典があると国王から三列目に席次が在ると言う事をマレーシアの技術者から聞いた。

ブルネイでは王族の人達も自由に仕事が出来るらしく話していても非常に気さくで話しやすい方だった。後日この方の屋敷に招かれたので追ってその時のことは書くことにする。

この王族の方は首都バンダル・セリ・ブガワンに広告会社を設立して道路の主要箇所に大型スクリーンを設置すると言う構想を持っていた。そこで我々に声がかかったのだが、ブルネイには我々の製品を設計し実現化できる技術が無いと言うことで設計製作の全てをマレーシアの技術者と行い、取り付け調整だけをブルネイの現地で行うことになった。

私はマレーシアの技術者達を指導し協力して構造物や電源装置、通信装置等の設計を行った。矢張り一番の問題は構造物でデザインの良し悪しは国民性もありマレーシアだけで一概に決めることは出来ずにブルネイに何度か足を伸ばして決定したるクアラルンプールとバンダル・セリ・ブガワンの間には直行便があるので朝クアラルンプールを出て一日仕事をして翌日にはかえってくると言う旅程で話を進めることができた。

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