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2009年1月30日 (金)

改修作業inモンファルコーネ

船上で作業を進めていく中でスクリーンを構成するユニットに不具合が見つかった。当然日本の工場で組み立て試験をしてデバッグしてくるのだが大型のスクリーンに組み立てての試験や調整はしていなかったのだ。ユニットとして合格はしていたもののスクリーンに組み立てた時にその不具合が見つかったのだ。

その不具合の原因はユニットの中にあり、全部のユニットを開けて改修する必要が有った。大変な事態だ。

一人でやっていたのでは時間が掛かりすぎるので、急遽、日本から2人の製造技術者を呼び寄せた。同時に現地のフリーランスを3人雇いいれて保管倉庫の中での改修を行った。

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この日本人2人は最終の調整時に呼び寄せる予定をしていたのでその時期が若干早くなっただけだが、3人のフリーランスに支払う費用は余分に発生したことになる。

寒い保管倉庫の中での作業はかなり辛い作業であったようだ。倉庫には暖房も無いのでヒーターを二つ調達して作業者の手がかじかまないように暖めたり、長時間の細かな作業は大変なので適宜休ませたりの仕事の管理や外部との調整がこの時点での私の仕事になった。

イタリアは泥棒が多いことでも有名なのでどんな時でもどんな作業をしいても目が離せないし、休み時間さえも作業場に鍵を掛けなければならない状態だった。物がなくなってしまっては全てが自分達の責任になってしまうし、折角イタリアまで来ていても仕事が進まなくなってしまうからだ。

私にとってこれが3度目の海外での改修作業だった。大きな問題も無く数日でこの作業は終了して、次の仕事に移れたことはラッキーだった。

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この写真はこの時の改修クルーと一緒にお気に入りのレストランに行った時の物だ。奥の左がアメリカの販社の担当者であとの3人は日本人だ。

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2009年1月28日 (水)

船の上での作業inモンファルコーネ

豪華客船「カリビアン・プリンセス」の上甲板での作業は寒風吹き荒れる中での仕事だった。

何せ、海の上で海上30mだから風邪の通りは極めて良い。体が冷え、手がかじかみ、耳が痛いと言う状態だ。

特に風が強く雪が横殴りの時等は鼻水が止まらないほど出てくるのだ。

こういう時はどうしてもトイレが近くなるのだが、これも一苦労だ。船の中のトイレは使用禁止だから岸壁にある工事用のトイレまで行かなければならない。その為には船の舷側に作られている工事用のエレベーターを使用する訳だ。この時はエレベーターが2基あり、どちらに乗っても良かったから比較的短時間で昇降することが出来たが作業員の長い行列が出来ている場合はそれでも1~2回待つ場合もあった。

しかも荷物の搬送用と一緒だからいつもごった返していた。

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寒いから暖かい物が欲しくなり、現場事務所や保管倉庫に行ってはスープや紅茶等を飲むので余計にトイレが近くなるから大変だった。

天気の良い日は高い場所なので周りが見渡せるからそう苦にはならなかった。逆に気持ちがいいぐらいだったからそのギャップは大きかった。

海外での工事は日本の工事と違って、朝、現場責任者達が全員集まり工事の調整をすると言う事は無い。全員が自分の作業の今年か考えずに仕事をしているので、場所の取り合いになったり、折角仕上がったものを次の作業の人がこれを壊してしまったりするのは日常茶飯事だ。

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従って、誰かが現場に張り付いて他の人を寄せ付けないようにする必要があるのだ。本来ならば現場監督がこの仕事をするのだが、担当のイギリス人は自分が作業してしまうので、代わりに私が工事の指導をしながら、見張りをすると言う仕事をしていた。

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2009年1月26日 (月)

もう一つのお気に入りのレストランinモンファルコーネ

モンファルコーネにもう一つお気に入りのレストランが有った。ここも名前は覚えていない!!

前回書いたお気に入りのレストランは大衆的な感じで店が大きかったが、こちらのレストランはこじんまりして雰囲気も良くイタリア人以外の人が多かったような気がする。どちらかと言えば高級店だ。

このお店にはアメリカの販社のジョン・Eと良く行った。

最初に行った時に彼が面白い行動をとった。私はそれ以前にこのお店に行っていたので、このお店で出てくる料理の量を知っていた。

私は一品しか注文しなかったのだが、初めてだったジョンはイタリア料理のフルコースのように次々と料理を選んでいく!! 私が「食べ切れなくなるから、もう止めろ!!」と注意をしたが、彼は4品ぐらい注文した。

それにワインではなくビールを頼んだのだ。勿論私もビールを注文した。私には丁度良い量だと思ったからだ。

最初に出てきたプライム・プレートのスパゲティはボリュームがあるのに彼は全部食べてしまった。大体日本人ぐらいの体格であればこのプライム・フレーとだけでお腹が一杯になり後は食べられなくなる。ジョンは中国系のアメリカ人で私より背は小さいにもかかわらず、次に出てきたセカンド・プレートのサラダも平らげ、更に三番目のメイン・ディシュも「苦しい」と言いながら食べ続けた。私は呆れてみているだけだった。

私は過去に何度もイタリアに来たことがあり、料理の量や食べる時間の長さ等を知っていたから、フルコースにしたら少なくとも2時間半は掛かると思っていたものをジョンは1時間ぐらいで食べてしまった。

更にその後にデザートのイタリアン・ジェラート(アイスクリーム)が出てきた。

彼も注文した手前必至になって食べていたが、相当、お腹に来たに違いない。

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帰る道すがら、私はジョンに「イタリア料理は食べたことがないのか?」と尋ねてみた。彼の答えは「単品は食べたことがあるが、あのようなフルコースは初めてだ」と言う答えが返ってきた。本場に来たのだからと言う思いと怖いもの知らずの行動だったのだ。

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2009年1月23日 (金)

お気に入りのレストランinモンファルコーネ

長期滞在していると自然と多く通うレストランが決まってくる。これには幾つかの理由が有ると思うのだが、私の場合の理由は現地のローカル料理が食べたいと言うことと、料理の種類が多く選択肢が多いことだ。

私の仕事は自分で手を下して何かをすると言うのではなくコンサルタント的なことだから、実際の仕事が始まると日本からの助っ人が必要になったり、現地のフリーランスを追加したりして全体の仕事の進行をコントロールしていくことになる。

こうなると先に現地に入っている私達が皆の喜ぶレストランに連れて行かなければならない。

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その中で良く行くレストランが一つあった。名前は忘れたが、地元の人も多くはいっている結構繁盛しているレストランだ。お店も大きいし、大勢でいつ行っても待つことなく座れる。それに雰囲気も良く料理の種類が多いのも良かったからだ。勿論、地ビールもあったし、サーブしてくれるウエイトレスもかわいい子がたくさん居た。

このお店は、座るとグリッシーニが出てきたし、水の注文までとっていたから一応は本格的なイタリア料理のお店に入るのだろう。料理の量も多く皆でシェアーできるのも良かった。

一人で行くと食べられる料理は決まってしまうが、大勢で行き、色々な物を頼んでシェアーするのも料理を楽しむ一つだ。スープ物とかはシェアーできないがパスタ、肉料理、サラダなどは相談しながら注文しお皿を多く貰ってシェアーすると言うのが常だった。

何度も行っていると店員とも気軽に話せるようになり家族的な雰囲気も出てきたし、食事が終わり皆で割り勘のためのお金をテーブルに広げているのを見てニッコリ笑うようになった。それだけ打ち解けたと言うことだろう。

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2009年1月21日 (水)

モンファルコーネでの活動範囲

モンファルコーネに滞在中はホテルと造船所の間を歩いて通勤したり(特に帰り道)、駅の周辺を散歩したり、色々なレストランを探訪した。

昼食はほとんど造船所の正門前の小さな立ち食いサンドイッチ屋や従業員目当ての車での販売店を利用していたし、たまに車で遠出をした。この時は海鮮レストランや駅の近くにあるソーセージの美味しいレストランに大勢出がかけた。

我々のクルーは国際的で日本人の私、受注もとのアメリカの営業マン、現場指揮者の英国人、作業者のイタリア人やベルギー人などの多国籍だった。こう言う仕事ではフリーランス(専門技術を持ったアルバイト)が多くてヨーロッパでは良くある光景だ。

朝食はホテルに併設された小さなレストランで済ませていた(朝食は宿泊代に含まれている)ので、夕食だけ販社の営業マンと街中に繰り出していた。

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一週間もするとどこのお店の何が美味いと言う事が分かってくるので、事前に食べ物をあわせておいてそこに出かけるのが一般的だった。しかし、ここはイタリア、各レストランが週日に交互に休むので、レストランの入り口まで行ってガッカリすることも有った。これも長居をしていれば何曜日はどこが休みだということも自然に分かってくることだ。

休み以外は夕食のために出歩くしかないので、モンファルコーネの一部しか歩いていないことになる。モンファルコーネには中世の砦なども有ったのだそうだが、残念ながら尋ねることはできなかった。と言うのも、アテネとの仕事を掛け持ちしていたので土日は移動日に当てていたためだ。

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2009年1月19日 (月)

大きな造船所inモンファルコーネ

アメリカの販社からモンファルコーネと言う地名を聞くまでこの都市のことをまったく知らなかった。いざそこに行くとなると矢張りどこにあるのか? どう言う都市などかを知りたくなる。

そこで調べてみるとモンファルコーネには世界でも有数の大きさを誇るフィンカンティエリ造船所があることがわかった。長崎の三菱重工の造船所に匹敵するぐらいの大きさで過去に有名な軍艦や客船をたくさん作っていることが分かった。

今回の仕事は、その造船所で作っている船に大型のスクリーンを設置するための物だということも分かった。

実際に造船所に入ってみると広大な岸壁に大きな船が3隻繋がれていてその何れもが10万トンを越す大きさだと聞かされてびっくりした。当時ここで作っていた船は、アメリカの代表的なクルーズ会社「カーニバル・クルーズ」と「プリンセス・クルーズ」の豪華客船3隻で何れもが10万トンを越すものばかりであった。

私の仕事場は「プリンセス・クルーズ」が発注した「カリビアン・プリンセス」号で排水量11万6千トン、長さ260mの船であった。

この造船所にはドッグが見当たらず、全ての船が岸壁に横付けされて上部構造物の製作や艤装が行われていたのでドッグは別の所にあるのだろう。

とにかく造船所は広い!! 中をテクテク歩いていくのは大変だが、我々には交通の手段がなく歩かざるを得なかった。正門から入って「カリビアン・プリンセス」に行くまでに悠に10分は掛かるし、「カリビアン・プリンセス」から現場の工事事務所までも7分ぐらい掛かった。つまり、弁当を持っていない我々にとっては昼食をとるのに一旦、正門を出なくてはならず、それだけでも大変な時間の浪費だった。

その他に我々は資材を保管しておく倉庫を借りていたのでここまで歩くのも大変な作業であった。

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この写真で実際に船が見えているところに「カリビアン・プリンセス」が係留されていた。

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これがカリビアン・プリンセスだ。

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2009年1月17日 (土)

アパートとホテルを間違えたinモンファルコーネ2

前回の続きである。

ホテルと思って入った所にフロントがなく、物凄く不安になり、再度1階まで降りてきて外に出ようとしたが、今度は入り口のドアがロックされていて開かないではないか!! 益々不安が募るとともにどうやったら外に出られるかを真剣に考えた。とにかく誰かに助けてもらわなければ外には出られないのだ。しかも誰も居ない!!その時ほど心細かったことは他にないぐらい途方にくれた。

その時、まだ私はここがアパートであることには気がついていなかった。ホテルであれば何処かにきっとフロントがあるはずだと思っていたし、間違えてホテルの別の入り口に入ってしまったのだろうとさえ思っていた。

また、2階に上り、声のする部屋があったのでそこで、ドアをノックし、呼び鈴を押した。一瞬、中の声が途絶えたが直ぐに元のように賑やかな声に変わった。ドアの外から大声で「ここはホテルですよね!! フロントはどこですか?」と尋ねたが応答はなかった。明らかに警戒されていたのだ。

仕方なく、また1階に下りて、ドアのところにたたずんでいたら、ドアの外に年配の男の人が現れ、ドアに近づいてきた。「シメタ!!」と思った。

男の人は鍵を出しドアを開けて中に入ってきた。私はすかさず「ここはサムホテルではないのですか?」と男の人に問いかけたら「ここは、アパートだ。サムホテルは隣だ」と教えてくれ、私が事情を話すと外に出してくれた。この男の人は一杯やりに外に出ていたとの事で私にとっては救いの神だった。

外に出て、周りを見回しても確かにサムホテルの看板の下にアパートの入り口がある。看板から少しはなれたところに工事中の仕切りがあったので、その先に行ってみたら、何とコウコウと電気が点いたホテルの入り口があるではないか!! 工事中の仕切りでこの入り口が見えなかったばかりに私はホテルと間違えてアパートに入ってしまったのだ。

ロビーに入りチェックインの時にフロントでこの話をしたら大笑いされてしまった。

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2009年1月15日 (木)

アパートとホテルを間違えたinモンファルコーネ

モンファルコーネに初めて出張することになりアメリカの販社の担当者とメールを通じて宿泊先や到着時間の打ち合わせをしていた。ホテルはアメリカの販社の担当者からの指定だった。これは発注先の会社が指定していた物で、このホテルには毎朝造船所に行くバスが立ち寄って関係者をピックアップしてくれるということであった。アメリカの担当者は仕事の関係で私より1日遅れてホテルに到着することになっていた。

ミラノからの最終便でトリエステに着いた。既に夜の10時を回っていて、果たしてホテルにたどり着けるかが心配だった。ロビーを出てタクシーを捜すと丁度1台止まっていたので、このタクシーにモンファルコーネのサムホテルに行くかどうか尋ねた。女性のドライバーで直ぐにOKのサインが出た。トリエステからモンファルコーネまでは約30キロある。かって私がウディネにしょっちゅう通っていた時に使っていた道の途中だ。

タクシーのドライバーと話しながら車に乗ること25分ぐらいで街の中に入ってきた。真っ暗でよく見えないのだが高速道路を走っている時とは明らかに違い、道の両側に民家らしい物が見える。

暫く走り、運転手が車を止め「ここがサムホテルだ」と言って建物の入り口でタクシーを下ろされた。確かに建物にはサムホテルのネオンの看板が有った。

普通ホテルの入り口であれば少しは明るくなっている物だが、この建物の入り口は薄暗い状態だ。私はホテルのフロントが別の階なあるものだと思いドアを押した。でも、ドアは開かない!! 暫くしたら中からおばあさんが出てきた、そのおばあさんがドアを開けてくれたのだ。「おかしなホテルだなぁ~」と重いながらも中に入った。

周りを見渡すと貧相なエレベーターがあったので重いバッグをその中に押し込んで2階に上がった。

残念ながら2階にはホテルのフロントらしい物は見当たらなかった。仕方がないので3階、4階と上がっていったがどこにもフロントらしい物は見つからない。続きは次回!!

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2009年1月13日 (火)

イタリアとギリシャでの並行の仕事

2004年(平成16年)の2月ぐらいだったと思う。私はアテネオリンピックの仕事とイタリアの造船所での仕事を並行して行っていた。

前年にアテネオリンピックの仕事が始まったのだが、年が明けて直ぐにアメリカの販社が受注した11万トンクラスのクルーズ客船に大型スクリーンを取り付ける仕事の指導をイタリアで行って欲しいとの連絡が入った。

ギリシャに行くついでにイタリアに寄れば良いと思い簡単に了解したが、これが大ごとだった。イタリアの造船所はモンファルコーネと言う所にあり、アテネとモンファルコーネの間には直行便がないのだ。アテネからだと一旦、ミラノのリナーテ空港に入りそこからトリエステまで飛ばなければならない。リナーテ空港からトリエステまでは国内線で1日複数便が飛んでいるものの、アテネとリナーテの間は便数が限られていた。従って、この間の移動に優に一日を費やしてしまうと言う位置関係だった。そんなこととは露知らず、簡単に行けるものだとばかり思い込みでこの両方の仕事の並行作業を引き受けてしまったのだ。

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実際の仕事をしてみると両方の都市の距離と南北の緯度の差で大変な重装備をして出張しなければならなくなった。アテネは真冬でも東京より若干暖かいのだがモンファルコーネは恐らく仙台かそれよりも少し北の方の温度だし雪も多い、しかも海に浮いた10階建てのビルよりも高い船の甲板で仕事をしなければならないので、アテネから入った場合は相当にきつい環境だった。

実際、モンファルコーネでの仕事の間は小雪に見舞われることが多くて、ニット帽を被り、手袋をして熱い防寒着をして仕事をしていた。その反面、アテネは朝晩は冷える物の日中は13~14度ぐらいなので重装備はしなくて良かった。

日本を出発する時はこの両方の装備を持っていかなければならず大荷物だった。どちらかの都市から移動する時は行き先の天候や気温に合わせて荷物を作り直し、残った物はホテルに預けると言う方法をとっていた。

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2009年1月 9日 (金)

カードでお金を借りたin香港

クレジットカードでお金を借りたといっても街ではやっている高利貸しではない。香港のホテルでのことだ。

日本では街中に「カードでお金」と言う看板を見かける。これはクレジットカードで品物を交わせて、その品物を安く買い取りお金にする物だ。

そうやたらな所ではクレジットカードでお金を貸してくれるはずもない。

私が香港で体験したクレジットカードでお金を借りる方法はこうだ。私はホテルでお金を借りたのであるが、先ず第一にホテルにチェックインした時にクレジットカードでデポジットしていることが必須の条件となる。

つまり、クレジットカードでホテル代を支払うと言う事を約束しクレジットカードに支払い能力があるとホテルが判断した時に初めてこの方法が使えるのだ。

ホテルをチェックアウトする前に空港に行くまでのタクシーを予約してもらった。大体のタクシー料金を聞くと

私の手持ちの現地通貨より高い。勿論日本円はもっていたのでホテルで日本円から現地通貨に利用換えすることも可能だった。しかし、余ったら空港で日本円に交換しなければならない。つまり手数料を二度取られるし、ホテルでの換金レートは率が悪い。

そこで、チェックアウトする時にキャッシャーの女性にクレジットカードで100香港ドルを貸してくれとお願いしたのだ。キャッシャーは快諾してくれて100香港ドルを貸してくれ、普通のクレジット伝票を差し出し、これにサインしろと言う。キャッシャーはそのまま私のホテルの部屋代にそれをチャージした訳だ。

チェックアウトした時に清算伝票を見ると確かに100香港ドルが乗っていたからクレジットカードでお金を借りた事になったのだ。

これと同じ事を過去にやったことがある。このブログにも書いたがドイツでパスポート、財布、航空券を盗まれた時にこの方法でホテルからお金を借りてほうほうの体で帰国したことが有った。

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2009年1月 7日 (水)

4度目の食あたりinソウル2

たくさんJALに乗っているのでラウンジに入れる資格は持っている。カウンターで優先チェックインしたら直ぐにラウンジに入り(これで荷物は盗まれることもなく安全だ)、またトイレに駆け込む。

搭乗時間になってもまだ吐き気がする。何時嘔吐してもおかしくない状態だった。仕方がないのでラウンジの女性職員に事情を話し防水袋を貰ってラウンジを出た。

ソウルのラウンジはパスポートコントロールの外側にあるため搭乗までに時間が掛かる。何時嘔吐するか分からない状態でのこの時間は物凄く長く感じたが嘔吐はせずにやっと飛行機までたどり着けた。

幸いなことに飛行機には空席があり、私の隣は2席とも開いていたのでそこに有った防水袋をかき集めておいた。

金浦を飛び立つと飛行機の揺れが影響してか、或いは気圧の変化からなのか気持ちの悪さが倍増して嘔吐が始まり、関空に到着までの1時間チョッとの間に2回も嘔吐してしまった。集めて有った防水袋が役に立った訳だ

この時は、成田に行くのではなく関空経由で羽田に行く便しか取れなかったのが幸いしていた。それぞれの飛行時間が短いからだ。

関空に到着して、乗り継ぐのにも一苦労だ、既にこの時に脱水症状が出ていて、喉が乾くは目が廻るはで歩くのもやっとの状態だったからだ。水を飲めば又嘔吐するのは分かっていたので喉の渇きを我慢して水は飲まずに居た。

関空から羽田まではビジネスクラスにアップグレーとしてもらった。この短距離をアップグレードするぐらい調子が悪かったのだ。最前列に座ると周りには誰もいなかったので、また、防水袋を集めて次に来る嘔吐に備えていた。この飛行でも1回嘔吐した。

羽田に到着後も防水袋は手放さず、シッカリと持っていた。ここから自宅まで普通はバスと電車を乗り継いで帰るのだが、バスの中や電車の中で嘔吐して惨めな思いをするよりはと思い直ぐにタクシーに乗り込んで自宅に帰った。1万円弱の出費だった。幸いなことにタクシーの中での嘔吐はなかった。

帰宅すると荷物もそのままに自宅前の医者に飛び込み点滴をしてもらった。何と500CCの薬を2本も点滴しやっと回復することが出来た。この旅は大変な出張であった。

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2009年1月 5日 (月)

4度目の食あたりinソウル1

10年ぐらい前のことだったと思う。商談でソウルを訪問した時に食あたりをしてしまった。海外出張中の食あたりはこれが4度目だ。何時の食あたりでも相当にきついのであるが、この時は移動日に当たっていたためさらに悲惨な目に遭った。

東大門市場の再開発の話があり、1人で訪韓した。現地の営業マンと再開発を推進している組合との間で打ち合わせを2日間にわたり行って翌日に帰国すると言う時だ。

夕食に漢定食を食べに行った。この時に出た「ヂョッ」を食べてしまったのだ。かってプサンでこの「ヂョッ」を食べて一緒に居た日本人3人が同時に食中りしたことがあり、その時の様子はこのブログ手も書いている。

それ以来、「ヂョッ」が出てきても食べないようにしていたのだが、魔が指したか美味しかったのだろう。二口三口、食べてしまったのだ。

的面である。その晩、急に吐き気を伴う腹痛がしてホテルの部屋で上からは「ゲロゲロ」で下からは「ピー、ジャー」の連続でほとんど眠れなかった。

翌朝になっても治まる気配がなかったのだが帰りの飛行機は昼に金浦空港を出る。下痢は治まり掛けていたので嘔吐だけが気がかりだった。万が一途中で出そうになったら止めてもらう覚悟でタクシーを捕まえ、乗り込んだ。

約30分必至で我慢して空港に付いた。その足でトイレに直行だ。

嘔吐しているとお腹に力が入るため、下からも出たくなるのが普通だ。この時もトイレに入ったのはいいのだが中々出てこられなかった。自宅に帰り着くまでの話は次回に!!

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2009年1月 3日 (土)

毒々しい原色の氷菓inブルネイ

ブルネイの出張での出来事の最終話だ。

ブルネイ人、マレーシア人と一緒に昼食をとった後は、彼らは必ずと言っていいほどある氷菓を食べる。名前は忘れたが日本のカキ氷に似た氷菓だ。この氷菓はマレーシアにある物と同じらしく彼らは好んで食べていた。

この氷菓は毒々しいほど原色で赤、青、黄色の色が一つのカップの中に混ざっている。

恐らく人工的に色をつけたもので日本で言えば「イチゴアイス」、「メロンアイス」、「オレンジアイス」と言う所であろうか?  これが一つのカップに混ざっているのだ。私は食べたことがないので味は分からないが、恐らくは日本のカキ氷と同じだろう。

私が食べられなかったのには理由が二つある。

一つは、氷を作った水である。恐らくは普通の水道水だろう。

熱帯地方の普通の水は常識的に危険だ!! 水当たりしてお腹を壊す可能性があるからだ。私はどこの国に出張しても旅行しても水道水は飲まない。先ず探すのはコンビか小さなお店だ。そして必ずペットボトルに入ったミネラルウォーターを真っ先に買う。私が泊まっていたヒルトン・ウタマでも毎日ペットボトル2本のミネラルウォーターが無料で部屋に置かれていた。

これから考えても普通の水道水はあまり飲料に適さないと言うことが分かる。

二つ目は、この氷菓の見栄えである。あまりにも毒々しい原色だ。日本では食用の色素にも厳格な基準があるが

ブルネイではどういう基準かわからなったからだ。

それでもブルネイ人、マレーシア人たちが普通に食べていたと言うことは彼らにとってはごく当たり前のデザートで普通の水道水にも耐性があったからなのだろう。私が怪訝な顔をしていていると「食べてみろ、美味しいよ」と言うのであるが滞在中一度も食べずに終わってしまった。恐らくこれが正解だったと思う。

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