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2009年2月28日 (土)

エーゲ海一日クルーズinアテネ3

このクルーズの最後に訪れたのがエギナ島だ。この島はアテネには一番近く結構大きな島であったし港も大きかった。その為か港の周辺は御土産屋や食べ物やがたくさんあり結構人だかりがあった。他の島との大きな違いは車が多かったことだ。

この島ではオプショナルツアーがありバスでアフェリア神殿に行けると言う事を船の中でアナウンスしていたのでアテネを出て直ぐに船の売店で申し込みをしておいた。

港に着くと観光バスが待っていて直ぐにそれに乗り込んだ。ほとんどが日本人でツアーのガイドが日本語で案内してくれていた。これ幸いと言う気持ちでその中に紛れ込んだ。

島の細い道をうねうねと登ること暫くすると眼下にエーゲ海が見えるところが幾つかありかなり高いところまで登ってきた。バスの終着点は小さな広場でここから徒歩で神殿まで登っていった。

アテネのアクロポリスより古い神殿だということだが島という隔離された所にあるためか観光地化、俗化されることもなく宮殿の姿を見せてくれていた。

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アクロポリスより小さい宮殿で一回りしてもそう時間は掛からず、降りてくると広場の隅に小さな売店がありお土産や飲み物を売っていた。この島の名物はピスタチオだ。私はここでピスタチオの入ったアイスクリームを食べた。アイスクリームは冷たくて喉を刺激するので私は滅多に食べないのだが、この時はなぜか食べる気になったのだ。結構うまかった。

バスに乗り港に帰る途中でアギオス・ネクタリオス修道院によりさらに小さなピスタチオの販売所に立ち寄った。

Aegean_sea30

ほとんどの観光客はお土産にとピスタチオを購入していたが私には興味がなかった。

港に帰って出向までの間の時間で御土産屋を覗き見て歩いていた。まだ暫くはアテネに滞在しなければならないし、まだ何度かアテネにも来なければならないのが分かっていたので何も買う気にもならなかったのだ。

アテネに帰港し、下船するとバスが待っていてくれた。歩いて帰っても良かったのだが係員に手数を掛けるのが悪かったのでそのままホテルまで送り届けてもらった。

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2009年2月26日 (木)

エーゲ海一日クルーズinアテネ3

エーゲ海一日クルーズinアテネ

次の目的地はポロス島だ。イドラ島と陸地の細い水路を通ってエーゲ海に出のだが、この水路が実に綺麗で両側に白壁と赤い屋根の家が点在する中をユックリと進んでいくのだ。まさに地中海そのものを絵に描いたような風景なのだ。

Photo

ポロス島はこのクルーズで訪問する三つの島のなかで一番小さい島で島の中央の丘の上に時計台があるのだ。

時間さえあれば車やバスで島の反対側に行けたのであるが、そこまでの時間はなかった。

とりあえず、この島の名所である時計台までくねくねした細い道を登っていった。民家の間を歩いているので家の中は見えるし、屋根にも上れるほどの近さだ。

Photo_2

島中この細い道が網目のようになっていて、所々に御土産屋や小さなレストランがあった。これらの島の名物は蛸の焼いた物とスブラキ(日本の焼き鳥に似たもの)だ。スブラキはアテネでたくさん食べていたし、このツアーでは昼食がついているので食べるのを控えていた。

Photo_3

ポロス島から次のエギナ島に行くまでの間に船中で昼食が出た。昼食の準備が出来たというアナウンスがあったので船のロビーに行くと日本人の団体客で一杯で座る所が無い。船員に尋ねたら団体客が先で、個人客はその後だという。待つこと30分ぐらいでやっと昼食にありつけた。

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2009年2月24日 (火)

エーゲ海一日クルーズinアテネ2

この小旅行に私はカメラを持っていき、多くの写真を撮ったつもりなのだがそれを記録した媒体が見つからない。

何処かに紛れ込んでいるのか、仕事の写真を優先したために消去してしまったのだろう。

従って、この話の中で掲載する写真はインターネット上のフリーコピーから借用した物である。

およそ2時間の航海の後、最初の寄港地イドラ島に到着した。下船前にアナウンスがあり、何時に出航するから何時までに帰船するようにと指示があり、その後は三々五々に島内に散らばっていった。

私はそんなに遠くには行くつもりはなく港の近くの御土産屋を見たり、岬の先端の砲台まで足を伸ばすぐらいだった。ここも観光地なので岸壁近くには御土産屋がたくさん出ている。しかし買う気にはならない。

アテネの市内にも同じ物が売っているし、そちらの方が安い物が多かったからだ。

船から見ていて「矢張りここは地中海の一部なのだなぁ~」と感じた。よく写真で見る地中海の風景、白壁に赤い屋根(実際はオレンジ色)の家が島の緑や空の青さ、海の蒼さに良く溶け込んでいて素晴らしい。

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実際に船を下りて散歩してみると観光地でもあり漁港でもあるので魚の匂いはするは、漁具が置いてあるはでそう綺麗ではない。矢張り遠くから見ているほうが美しい。

ただ、海は別物だ。岸壁から海中を見ると本当に透き通っていて海底まで見えるし小魚が泳いでいるのも良く分かる。当然日本にもこの様な所はあるのだろうが、海の色が違って見えたから不思議だ。

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2009年2月22日 (日)

エーゲ海一日クルーズinアテネ1

出張していて役得なのは休みが取れたときの観光、小旅行だ。

アテネに滞在している時にアテネ発のエーゲ海一日クルーズに参加できた。これも暇をもてあましていた時にたまたまホテルのフロントにあったパンフレットを見たのがきっかけだった。

自室に戻り直ぐに旅行会社に電話をして休みが取れる日に予約を入れた。ホテルまでの送迎と昼食付で90ユーロだった。何時にフロントで待っているように指示された。

このクルーズはエーゲ海に点在する小島の三っの島、イドラ、ポロス、エギナ島をわずか一日で廻る物で大々的な物ではなくエーゲ海クルーズの雰囲気を味わう程度のものだ。

Photo_2 

当日、フロントで待っていると小さなバンがピックアップしてくれた。更に他の客を2ヶ所でピックアップしたので港に付くまでに30分ぐらいかかった。

何ということか!! この港は私がいつも散歩していた所でホテルから歩いても10分の所だったのだ。

港では船の前で他の観光客が集まるのを暫く待った。各方面からピックアップされてきた人たちが徐々に集まりだしたが、そこに大きな観光バスが来て一団の日本人観光客がドット出てきた。唖然としたと同時に少しがっかりもした。日本人はてっきり自分ひとりだと思っていたからだ。

日本人以外の外国人も大勢いたが、せいぜい2人とか4~5人ぐらいのグループでそんなに騒がしくなかった。

日本人のグループはやかましいと言ったらありはしないし、グループで行動するのでゾロゾロと一斉に動き出すから滑稽だ。船の中には日本人を1ヶ所に集めて説明しているし日本人が好みそうな免税店まであっておばさんたちが寄ってたかって品定めをしている。外の景色を見るではなく船内に閉じこもってしゃべっていたり食べている。まさしくこれが日本人の団体旅行だ!!

私は後部デッキに出て、椅子に座りビールを飲みながらゆったりと景色を見ていた。

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2009年2月20日 (金)

犬の糞がゴロゴロinアテネ

アテネとその周辺市街を歩いていると犬の糞がゴロゴロと落ちているのに気が付く。歩くのには相当の注意を払わないと「グニャ」とやってしまう。私も踏んだことがある。気持ちのいいものではない。

日本と往復しているので日本に帰ってきて日本の綺麗さに慣れた状態でアテネに入った直後に踏む可能性が高いのでこの時は特に注意が必要だ。

放し飼いの犬は滅多に診たことがないのになぜこうも犬の分が多いのだろう? 

これは、アテネの人たちが犬の散歩=犬の排便と考えているからに他ならない。しかも日本のように飼い主が始末すると言う習慣がないので犬が排便してもそのまま立ち去ってしまうからだ。

そう言う場面は何度も見ている。アテネでは普通の人が結構良い身なりをしている。立派な紳士や婦人に見える人が犬を散歩させている最中に犬が排便しても何食わぬ顔で立ち去ってしまう。これが常識になってしまっているのだ。だから道、特に歩道に犬の糞がゴロゴロしているのだ。

オリンピックの直前でこのような状態だったからオリンピックでアテネを訪れた人の中には「グニャ」とやってしまった人も居るに違いない。

犬の放し飼いが多いタイでも犬の糞には注意が必要であったが、アテネでは放し飼いが少ないのに糞が多いので始めての人は戸惑ったに違いない。

もう一つ、アテネ市外の歩道は決して整備されている状態ではなかった。タイルやレンガが剥がれたり凹んだりしているところが多く足元には常に気をつけておかなければならなかったから、犬の糞とこの凸凹に注意して歩くのがアテネでの常識だった。

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2009年2月18日 (水)

フレームの標準化の難しさinアテネ

5ヶ所のクリーンを標準化して設計も共用化し、鉄材も共用化しようとしたことは前にも書いた。

だが図面化は出来ても実際に作ってみると色々と不具合がでてくるものだ。そこで、最初に工事をするスクリーンのフレームを作り検討することになった。

フレームを作る制作会社の工場はアテネの市街から車で走ること1時間ぐらいの田舎にあった。製作を開始する前に設備を見せてもらったがほとんど設備と言う設備もなくだだっ広い工事用のスペースがあるだけだった。

鉄材を吊り上げ、移動させるガントリークレーンぐらいは思っていたがそれも無かった。有ったのは鉄骨を切断する機材と溶接する機材ぐらいだ。彼らがこれで出来るというのだからやらせるしかない。

2週間ぐらいしてフレームが組みあがったという連絡を受けて代理店の責任者と再度工場を訪ねてみると工場の真ん中にゴッツイフレームが組みあがっていた。

Photo_2 

ギリシャの建築基準が分からないので強度城南とも言いようが無いのだか地震国の日本においても少しゴツ過ぎないかと思われるフレームだった。更に大きなフレームの場合はこれぐらいの鉄材が必要かもしれないと思いつつも材料を共用化したことの弊害が現れたのだと思った。

大型のスクリーンだから全面は開放しなければならないので補強のブレースは入れないのもフレームをゴツクした要因になっている。更に小さいスクリーンになるとゴッツイフレームに頭をぶつけてしまうことも実感できた。

しかし、常時、フレーム内に居住する訳ではないし、メンテナンスの時に気をつければいいことでもあり、代理店のサービスマンに十分注意しておけば良いことと言う事で、この方法で全スクリーンのフレームを作ることにした。

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2009年2月16日 (月)

遅々として進まない仕事inアテネ 2

仕事が進まないのはオリンピックサイトの施設だけではない。オリンピックに合わせて多くの公共工事が行われていたのだが全てが遅れに遅れていたのだ。例えば道路工事!! 新しい国際空港は出来たばかりで市街地と結ぶ道路は建設中で何回行っても工事が進んでいるようには見えなかったし、トラム(路面電車)の建設も道路を穿り返してはいる物の遅々として進んでいなかった。

私が滞在していたホテルの前もこのトラムの工事をしていたのだが、こう言う工事では珍しくわずか数人(5~6人)の労働者しか居ないし、交通整理のガードマンも居ないのだ。日本では考えられない工事体制だ。

代理店の代表者に「本当に間に合うのか?」と聞いたことがある。代表者は「間に合わないと思ったら格好だけ付けるから大丈夫!! オリンピックが終わったらちゃんとやるさ!!」と言うとんでもない言葉が返ってきた。

こんな言葉も、工事の考え方、方法も日本では考えられない。まあ、いい加減と言うか、楽天的というのか分からないが矢張りギリシャ流なのだ。

結果的に言うと道路もトラムもオリンピック前には一応開通していたから彼らの言っていたギリシャ流の仕事の仕方・・・つじつま合わせがうまく言ったということだろう。

オリンピック後に再工事したかどうかは分からないのだが!!

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2009年2月14日 (土)

遅々として進まない仕事inアテネ

ギリシャ人の仕事の進め方は物凄くスローだ。こちらが幾ら焦っても仕方がないのだが、胃がキリキリと痛くなるぐらい遅い。こちらが「郷に入れば郷に従え」で仕事をするつもりで居ても、私は所詮外国人で時々は日本に帰らなければならない。一旦帰国するまでには「何とかここまで仕上げておきたい」と思うことはたくさんあるのだがそんな事は一向にお構いなしだ。

ある時、代理店の代表者に「こんなことでは十分な仕事が出来ない!! もっと早く仕事をしてくれ」と苦情を言ったことがある。返ってきた答えは「ギリシャ人には底力があるから、オリンピックには間に合う」だった。

彼らは例え遅れていてもオリンピックの開会式の前日に間に合えば良いとしているのに対して、我々日本人は開会式の十分前に完成させ、調整、試験を確実に行って開会式に臨みたいと言う考え方であるから基本的な考え方が全く違うのだ。

スケジュール表を見ていると日本人と同じ考え方のスケジュールなのであるが、彼らは一向にスケジュール表など気にしていない。

こう言うところで仕事をしていると精神的に参ってしまう。実際の仕事をしているのはギリシャ人だから我々日本人が幾ら焦っても、幾らカリカリしても仕方がないのであるがどうしてもストレスが溜まってしまう。

毎日仕事を始める前にスケジュール表と対比し「この仕事は一終わる」と言う確認から入るのが定例化してしまった。私がこうもスケジュールを意識していたのには理由がある。仕事が進めば最終段階で多くの日本人を呼び寄せて調整や性能の確認をしなければならないのでその時期がいつになるのかを決定しなければならなかったからだ。日本人が来ても仕事が無い、無駄に遊ばせておく訳には行かないからどうしてもシビアーに予定を確認していた訳だ。

勿論日本でも私の報告を待っているので、毎日の定例チェックの後では進捗状況や予想をメールで日本に連絡していた。日本でも仕事の遅れを気にしていたのだ。

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2009年2月12日 (木)

街路樹のオレンジinアテネ

アテネの、と言うより地中海地方の名物はオレンジとオリーブだ。アテネの街中の街路樹もオレンジの木が植わっているし、季節になれば黄色い実がたくさんなっている。

私が泊まっていたベストウエスタン系のホテルの朝食では(朝食代は宿泊費に含まれている)この新鮮なオレンジのジュースが人気だった。オレンジが皮のままバスケットに山のように積まれていて、その横にジューサーが置かれていて、新鮮なオレンジを好きなだけ自分で絞って飲めるからだ。

大体2個のオレンジでグラス一杯ぐらいのジュースが絞れる。この甘い新鮮なジュースを飲むのが朝食の楽しみだった。

スパーマーケットでオレンジの値段を調べて見たらダンボール一箱わずか数百円だから安い物だ。

仕事で町のなかや郊外をドライブしているとオレンジの黄色く実のなった街路樹がやたらに目に付くのだ。勿論家の庭にも同様のオレンジの木があるのだが、なぜ、誰も取らないのだろうと不思議に思っていた。

代理店の前の道にもこのオレンジがなっていて、ある時勇気を出して一つもぎ取り、口の中に入れた。ところが、私の想像をはるかに超えた「渋くて酸っぱい」味が口の中に充満した。思わず「ペッ」と吐き出し、持っていた峰なるウォーターで口をゆすいだ。それくらい強烈な味だった。なるほどこれでは誰も取らないはずだ。

オレンジにも色々な種類があって、美味しくなくて誰も散らないが黄色く実を付けるオレンジの木が街路樹に適しているのだろう。

しかし考えてみれば、同じオレンジを街路樹にするのであれば食べられるオレンジを街路樹にすればいいのではないだろうか? そうすれば私のような好奇心のある外国人でも失敗はしないだろうし、良い思い出も残るだろうに!!

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2009年2月 9日 (月)

立小便はいずこも同じinアテネ

立小便はいずこも同じinアテネ

フレームの設計やら現場での打ち合わせなどで代理店の技術者と一緒にアチコチを駆け回っているときにアテネの郊外で現地の人が「立小便」をしているのを見た。

ある時、代理店の技術者と2人で車に乗り、メイン会場に向かっていた。市街地をバイパスする形で市街地の東側(山の西側)を通っていた。運転していた技術者が突然「ヒー・イズ・ピッシング」と言って片手である方向を指した。そちらを見ると少し小高くなった道端で一人の男性が道路と反対側に向いて何かをしていた。技術者が言うように「立小便」をしていたのだ。後姿からもはっきりと分かった。

一瞬笑いが来た。どこの国でも「立小便」をしている格好は同じだし、そう言う行為が存在するのが可笑しかったのだ。勿論私も日本で「立小便」をした事はある。口から入れれば自然の摂理で排出は当然起こってくるから

仕方のないことなのだが、こう言う場合は普通、草むらだとか人が見ていないところかでするだろう。

にも拘らず、このギリシャ人は堂々と道端で「立小便」をしていた。ギリシャではそう言うものなのか??

「立小便」は男性だけの特権と思いがちだか、同じ人間なのだから当然女性にもあるはずだ。

そう言う面で思い出してみると私も過去に2回ほど女性の「立小便」を見たことがある。さすが若い女性ではなかったが1回は日本で、もう1回はベトナムのハノイでだ。

日本の時は畑仕事をしていたおばあさんがもろに腰を上げて見事な「立小便」をしていた。ハノイでの場合は私の前を歩いていたおばあさんが急に衣類を捲し上げてしゃがみこみ街中で堂々と「立小便?」をした。直ぐ後ろを歩いていた私は正直驚いた。

しかし、考えてみれば男性にしろ女性にしろ「排尿行為」は自然の摂理であるから必ず襲ってくる物だし、どこの国にでもあるのだろう。また人間の体の構造が同じ手ある以上、「立小便」の形も自然と同じになっていくのだろう。

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2009年2月 7日 (土)

フレームの設計に苦労inアテネ

前回も書いたが、オリンピックの準備のために多くの設計会社、コンサルタント会社が注力していて良い設計会社が中々見つからないことと、これらの工事のために鋼材の入手が危ぶまれる中で、我々もフレームの設計を始めなければならなかった。

幾つかの設計会社を当たり、個人が事業種の小さな設計・コンサル会社を見つけた。ここの主人と話しをしてみると頑固だが技術力がありそうだったので、早速、契約を交わし設計に掛かった。

先ず、こことの合意でサイトごとに一つひとつ設計していたら先ず間に合わないので出来るだけ同じ構造で同じ部材を使った標準化した設計にしようということにした。しかし、サイトが違えばスクリーンの大きさも違ってくるから、そう簡単に思い通りにはいかなかった。

それでも、基本構造、基本部材は同じにした5ヶ所のサイトのスクリーンの図面を作らせて見た。

アテネではギリシャの基準で建築の強度計算をしなければならないので我々はタッチできない。彼に任せるしかないのだ。一通り出来上がったところでチェックしてみると建築屋としての設計は出来ていても、スクリーンとしての取り扱いは考えられていなかった。

ここから、2人で額をあわせ、私が今まで経験した事を話しながら取り扱いやすいスクリーンにするために「ああでも、こうでもない無い」と論議をしていき、その都度、図面の引きなおしをしていった。

一ヶ月もすると「まあまあ」納得できる構造物の図面になった。

外装や内部の細かな部材の標準化率は70%ぐらいまで上がり、一応満足できる物だった。

それから速やかに部材ごとに整理し員数を出し注文書まで作成した。これで大分早く、安く出来るはずだ。

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2009年2月 5日 (木)

最初の仕事inアテネ

アテネは実際の仕事を始める前年に一度訪問して、代理店やオリンピック委員会との顔合わせはしていたのだが、実際の仕事を始める時には必ず現地の様子を調べるところから始めなければならない。

この時も同様に、スクリーンを設置する場所を全て見て廻ったのだが、工事の進捗が物凄く遅れているのに驚いた。開会まであと一年も無いのにまだ地面をほじくっている所もあればやっと整地が終わった所、ここが会場になると言う荒地などが広がっていたのだ。

担当者に聞くと、「大丈夫、間に合うから」とは言うものの、こちらは半信半疑だ!! しかし、「郷に入れば郷に従え」で任せるしかないのだ。P1000297_2 

上の写真は最初に訪れた時のヘリニコンのカヌー会場

頭の中に完成された建物や会場を想像しながら、どこにスクリーンをどのように設置したらよいのかを考えていた。当然、スクリーンの設計だけでなく設置する場所や構造など、或いは他の施設(電気施設、映像施設、通信施設)などとの関係があるので、そのことも頭に入れながらの概要設計や提案等も私の仕事の範疇に入っているのだ。

現地で作成された図面の中にこの私の考えを落として、電気系統、映像系統、通信系統などの線を引いてみて、不具合があれば現場に戻り再調査をすると言うことを繰り返した。

一方で、スクリーンを保持するフレームの概要設計と材料の手配をしなければならず、こちらもてんてこ舞いの状態だった。アテネの代理店ではこれだけの大量の鉄材を短時間に加工するのはギリシャ国内では出来ないといわれていて、私が過去にヨーロッパで付き合いのあったフレーム製作業者数社とも仕様を説明した上で概要設計と見積もりをさせていたのだ。この時ほどメールとCAD図面が有難いと思ったことは無かった。

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上の写真は大会中のカヌー会場

 

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2009年2月 3日 (火)

アテネオリンピックの仕事・・周辺地理

イタリアのモンファルコーネで仕事をしている時期に並行にアテネオリンピックの仕事をしていた。この事は前にも書いているがイタリアとギリシャが極近くの国と言う私の間違った解釈で始まった事なのだが、いざ、この二国間を移動しながら並行に仕事を進めるというのは大変なことであった。

さて、モンファルコーネの造船所での仕事は大方書いたのでアテネの仕事について書いてみよう。

アテネのオリンピックでは14基の大型スクリーンが設置された。7基は常設型で残りの7基は仮設の物であった。このうち常設型の7基の設計、設置の指導監督が私の仕事だった。

アテネのオリンピックの会場はアテネの中心街を挟んで北と南に二分されていてこの行き来だけでも大変な時間の浪費だった。ほとんどが中心街の通過を避けて山側の道を通ったのであるがそれでも1時間以上は掛かった。
大型スクリーンは北側のメイン会場に近いサイトに5基、旧国際空港の跡地に作られた南側のサイトに2基だったためこの間の往復は日常茶飯事に行われていた。

常時泊まっていたホテルはベストウエスタン系列のホテルで道を挟んで海に面しており南側のオリンピック会場や代理店の事務所にも近かった。

新国際空港はアテネの市街とは山を挟んだ辺鄙な所に作られていた。当時出来たばかりで周辺の道路を懸命に建設している所であったが、中央に有る山の中には道がなく、アテネの市街に行くにはこの山を避けて南に廻るか、北側に迂回するかの方法しかなかった。

Photo

常時泊まっていたホテルには南側の道を使った方が近かったのでほとんどがこの道を使用していた。この道を通ってホテルに行くのにも1時間は必要で、その大半はオリーブ畑以外は何もないような荒地を走り、最後の10数分を海岸沿いの景色の良い所を走る物だった。

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