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2009年3月30日 (月)

最初のインストレーションinアテネ

最初にフレームが出来上がりユニットを取り付け始めたのはカヌーの会場だ。ここは元国際空港だったヘリニコンにあり、代理店の事務所からも近かったので工事をすると言う面では楽だった。

しかし、屋外でしかもカヌーのコースとなる溝を作ったり、山を平地にしたり、芝を張ったりしている工事の最中で埃がひどく環境的にはあまり良い物ではなかった。

最初にユニットの取り付け作業から始めて、作業の完了までに3日を要したが、埃がひどかったためにユニットの表面が取り付けた日によって汚れ方が違うと言う事態が発生した。

数日経てば埃が積もって同じ様な汚れになり取り付けた日による違いはなくなるのであるが、はになって仕方がなかった。「最後に掃除をする」と言う前提でユニットを取り付ける工事を終了させた。

屋外作業での3日間に雨が降ることもなく埃の問題を除けば順調に作業は進行した方だ。

ここで取り付けたのは中国製のユニットで取り付け作業では問題はなかったものの後から大きな問題の発見になる最初のインストレーションだった。

その後、ユニット間のケーブルを繋ぎ、外部からの信号線、電源のつなぎを待つ状態になったのだが、野っ原の真ん中に無防備に建設されたフレームに避雷装置がついていないことがわかり、この作業は中止され、避雷針の取り付けを最重要作業として業者に委託した。

丁度このころアテネでは季節の変わり目か、天候が急変することがあり、雷が鳴り、一時的な土砂降りになることがあったから、避雷針を取り付けずに外部の線と接続することはユニットを全滅させる危険をはらんでいたためだ。

それにしても肝心なことがなされていないのはギリシャ流の仕事だ。

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2009年3月28日 (土)

日本製/中国製のユニットの受け入れinアテネ

日本製と中国製のユニットを混在して使用しなければならないことは前回のブログで書いた。

アテネに戻り、代理店の担当課長と話しながら、アテネで行っているフレームの建設情況を踏まえてのどちら製のユニットがどのタイミングで何個必要か、倉庫の手配はどうするかなど毎日のように話し合っていた。

幾ら、パッケージのマークが違うからと言っても中身のユニットは全く同じに作られているから間違って使ってしまう可能性は無きにしもあらずだ。

結局倉庫を何箇所か借りてそこに別々に保管することになったのだが、到着したユニットは出来上がったフレームに逐次取り付けていくので員数の管理は大変な物があった。全部のユニットが不具合なく使えての話でこの大変さなのに、到着時に既に梱包の悪さで壊れている物もあり、尚更事務作業を複雑にしていた。

中国から送られてくるものは、日本からの指示で出の発送になり、或いは返品する物も品物は中国、報告は日本と中国と言うようにルートが複雑化していて中々段取り通りには行かなかった。

これが混乱に輪を掛けていて、毎日まいにち、良品、不良品の出入りの表やアテネでの在庫の数、必要数を記した表の作成、訂正、日本との情報交換で四苦八苦だった。

朝のうちにこの作業を済ませて、午後からは倉庫で実数を確認したり、現場に出て作業の指示をしたりで大忙しの毎日だった。

フレームの建設工事といえばギリシャ流の仕事の進め方で遅々として前進しているようにも見えないし、サイト、サイトで少しずつ違った形をしているので、そこで発生する問題を解決しなければならず猫の手も借りたいぐらいの忙しさであった。

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2009年3月26日 (木)

ユニットのコンプリートノックダウン生産in蘇州

ここまで、アテネでの一連の体験を書いてきたが、これから続けてこの体験談を書く上で重要なことが中国の蘇州であったのでそれを先に書いておこう。

私が勤めていた会社でもご他聞にもれず生産コストの削減のため中国での生産拠点を持っていた。

大型スクリーンに必要なユニット(大型スクリーンはユニットを積み重ねることで構成されている)をこの拠点で生産しようということになった。その為には莫大な費用投下があったのだが、それを早く回収するためと国内生産品だけではオリンピックに間に合わないと言う二つの理由から国内生産品と中国生産品を同時に使用することになった。

アテネの現場を任されていた私は「非常に危険だから止めて欲しい」と進言したのだが聞き入れられずに実行された。これが将来大きな問題を起こすことになるのだ。

この生産ラインを確認するために日本に帰国した際に、蘇州への緊急出張をして生産現場の確認を行った。

LEDなどの主要部品は日本化に輸入していたが(日本の製品と同じ物を使っていた)、他の部品類、成型品などは完全に中国で型を起こし中国で調達した物だ。

生産ラインは日本の工場と同じ物を用意し、同じ様な管理をしていたのだが、生産現場で実物を触ってみると日本製と矢張り若干の違いがあるのが分かったが、性能には影響しないと言う判断と、日本よりより高度なデバック施設を用意していたので「使用してみよう」と言う結論になった。

勿論、日本製と中国製には識別できるマークを付けることが条件だし、一つのスクリーンの中に混在させることは避けなければならないので、員数の管理、梱包材料の識別しやすさ等を条件に加えてのことだ。

しかし、アテネの代理店では日本製、中国製の仕切りが大変で別途の所に管理する等、混在しないように物凄く注意を払っていた。

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2009年3月24日 (火)

トップレスがゴロゴロinアテネの海岸

定宿のコーラルホテルの直ぐ前は海岸で砂浜もある。ここの海では冬でも何人かのお年寄りが泳いでいるし、夏になると多くの人達が海水浴や甲羅干しにやってくる。夏は日が高いため仕事を終わった人達も集まってくるので仕事を終えた私も良くここに出かけた。小さな砂浜であるが子供たちやお年寄りまでいつもたくさんの人で賑わっている。勿論若い女性も多く、ここでは女性たちの多くがトップレスでマグロのように日光浴をしている。

最初この光景を見たときは驚いたし目が釘付けになった。翌日、代理店に出社し秘書の女性に「昨日、トップレスの女性を見たよ」と言うと「ギリシャでは普通で、良くあること!!」と返事が返ってきた。すかさず「あなたもトップレスになるのか?」と畳み掛けたら、「アテネではやらない。旅行に行き知らない土地なら平気だ」と言うから、またまた驚いた。

トップレスが良くあることと言う事を確認するためにホテルの前の海岸だけではなく色々な浜辺や海岸を歩いてみた。確かにあちら、こちらに大勢居るではないか!!

国民性なのか、多くの人がやっているので恥ずかしさが何処かに行ったのかは分からないが日本人の私などからすれば驚きの連続だ。

恐らく南フランスの海岸や南イタリアの海岸等でもこのような光景は当たり前なのだろう。残念ながら南フランスや南イタリアで長逗留したことはなくこう言う風景にはあっていない。

後日、日本人の技術者が大勢来た時に、この話をしたら「皆で見に行こう」と言うことになった。

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2009年3月22日 (日)

定宿inアテネ2

定宿のコーラルホテルはアテネ市外から車で20分ぐらいのパレオ・ファリオと言う所にあり、まあ、市街の南のハズレと言う所だ。ただし風光明媚で交通の便もよく私には滞在しやすい場所だった。

代理店の担当者も出社や帰社のときに私を拾ってくれたり送り届けてくれるのに便利な場所でもあったのだ。

長期滞在を繰り替えているとフロントのクラークのシフトも分かってくるようになりよく雑談をしたりもしていた。皆気さくでいい人ばかりだった。私も観光地に行く道順を聞いたり、レストラン、タベルナの場所を聞いたりで何でも言える間柄になっていた。

ある時など部屋が気に入らないからといって変更してもらったり等の融通もつけてもらった。

このホテルは高級ホテルではなくヨーロッパで良く見かけるホテルで、古い日本の「旅籠」のような感覚であった。勿論、良い部屋もあるのだろうが、私が払える金額ではお世辞にも良い部屋とは言えず、ほとんどがバスタブがなくシャワースペースだけの部屋だった。

ヨーロッパは比較的乾燥しているところが多いので短期滞在ならばシャワーだけで十分だ。ただ、日本人の私が風呂のないところに長期に滞在するにはチョツトだけ不満はあったが、値段相応のホテルとして満足していた。

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近くには小さいながらスーパーマーケットやファストフード店があり買い物や食べ物にも不自由しなかったし、中心街に行くバスの停留所も50メートルぐらいの所にあり、しかも新規に作られたトラムの駅からも100メートルぐらいと至極便利であった。

何よりも良かったのは仕事が終わりシャワーを浴びてから海岸で夕涼みが出来たことだ。夕涼みは毎日の日課になっていた。

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2009年3月20日 (金)

定宿inアテネ

アテネに通い始めて一年ぐらい、ほとんどが海岸沿いにある「コーラルホテル」に泊まっていた。

このホテルを選択したのは私ではなくてオリンピックのために急遽作った私の会社の販売会社の秘書の紹介だ。アテネのホテルはインターネットで直接予約することが難しく、この販売会社の秘書も観光協会を通して予約していたようだ。

ホテルのフロントで次回来るための予約をしようとしても観光協会を通してくれと言われるぐらいだから何か理由があるのだろう。事によると通年の価格調整のためなのかもしれない。

ご存知のようにヨーロッパのホテル代は高い。私が定宿としていた「コーラルホテル」も三ツ星半ぐらいの位置づけだが200ユーロぐらいはしていた。

販売会社の秘書にはもっと安くするように交渉してもらい。時期によっては160ユーロぐらいになった時もあった。

運悪くここが取れなかったときが3回あり、その時は市内の北側のオモニア地区のホテルに1回、

市内の真ん中に1回、ヘリニコン会場よりもっと南のグリファダ地区に1回と点々としていた。

しかし、私はこの「コーラルホテル」が気に入っていて、出来るだけこのホテルを取るようにお願いしていた。

ホテルは海岸に面しているのだが、私はいつも安い部屋ばかり探していたので、海岸から離れた一番奥の部屋をあてがわれていた。しかし、結果的にはその方が良かったのだ。このホテルを使ったほかの人の話しを聞くとホテルの一番高い部屋は6車線の道路に面していて(勿論海にも面しているのだが)相当にうるさいと言う評価だった。

何よりも良かったのが朝食だ!! バッフェスタイルの朝食だが、品数が多く、自分で絞る新鮮なオレンジジュースがたまらなく美味しかったのだ。皮のついたままの新鮮なオレンジがバスケットに入れられて運ばれてくると我先に電動の搾り機に駆け寄り、オレンジ二つを絞りその場で飲み干す。更にまた二つ絞り朝食時に飲むと言うことができたのだ。

他の宿泊客もこのオレンジジュースは気に入っていたようだ。

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2009年3月18日 (水)

もう一つのギリシャ料理ムサカinアテネ

代理店の人にギリシャ料理について聞いてそれにトライしたことを書いたが。その時に聞いたのはスブラキとムサカと言う料理だった。先日書いたのはスブラキ・プレートとスブラキ・ピタだ。

今日はムサカにトライしたことを書いてみよう。

ムサカは中東が発祥の家庭料理らしく、それぞれのお店で味が違うし、作り方も違うと聞いていた。

パンのような生地にナス、トマト、チーズなどを重ねで焼きソースをかけて食べるのが一般的だと説明してくれた。

そこでいつも行っていたホテル近くのレストラン(タベルナ)でムサカを注文したら、今は季節ではないナスがないと言われてしまった。確かにナスは季節野菜だ。いつでも有るわけではない。もう一つムサカを作るのには時間が掛かるとにべもなく断られてしまった。

それから何回目かのアテネの訪問でやっとムサカに出会うことが出来た。

何時ものようにモナスティラキの辺りを歩いて昼になったので近くのタベルナに寄った。メニューを見るとムサカがあったので迷わずにムサカを頼み、ついでにビールを注文した。

ビールが出てくるまでにも時間が掛かったが、ビールをチビチビ飲んでいると熱そうな鍋が出てきた。「ムサカを注文したのだが?」とウェイターに言うと「これがムサカです」と言う答えだ。

想像していた物とかなり違う!!「重ねて焼く」と言う説明からパンかアップルパイの大きい物だろう想像していたのだが、鍋が出てきたのだ。

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なるほど家庭によって違うというのも理解できた。これがこの店のムサカだったのだ。

食べてみると中々美味い!! チーズが溶けていて熱いから一度にたくさんは食べられないのだが中に入っているトマトの酸味とナスの甘みがうまく出ていて美味いではないか。チョッと見た感じでは日本の釜飯を釜から直接食べているように見える。

ビールを飲みながらムサカを食べるとビールが進む!! ムサカを食べ終わるときにはビールを二杯も飲んでしまっていた。

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上が想像していたムサカ     下が出て来たムサカ(実際は金属の釜に入っていた)

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2009年3月16日 (月)

アクロポリスに登るinアテネ

アクロポリスといえばアテネで最も有名な観光スポットパルテノン神殿があるところだ。アテネに滞在中に何度かこのアクロポリスに登った。

アテネは面白い地形をしていて、このアクロポリスがあるところとリカビトスの丘がポツコリと高くなっている。従って市内の見晴らしのいい場所(街中の平らな地ころ)に行くとこの両方の丘を見ることが出来る。

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右がアクロポリスの丘で左がリカビトスの丘

リカビトスの丘の頂上には教会がありかなり急な坂道を登らなければならないのだが今はケーブルカーがあり楽に登れる。

一方、アクロポリスにはケーブルカーは無い。丘の色々な方向から登ることができるのだが、登山道(?)は最後のパルテノン神殿に入る所で合流していて、ここから神殿に入るのは有料だ。

この入り口にはいつも大勢の観光客でゴッタ返しているし、中に入ってからも数珠繋ぎの人の後ろについて登らなければならない。

途中も昔のままの石畳や階段がそのまま残されていて、この階段や石畳を皮のサンダルを履いた昔の人が歩いたのかと思うと感慨深い。また、途中には石柱がたくさん残されていてパルテノン神殿の石柱がどの様にして作られ、組み立てられていったのかの参考になる。

丘の頂上に着くとそこには視界一杯にパルテノン神殿が広がっている。かなり大きい建物だ。

私が訪れた時にはアチコチで補強工事が行われていてクレーンが幾つも立っていた。

重機で工事しなければならないような重さの石を積み上げこれだけの建物を作ったのだから古代の人には相当の労力だったのだろう。

神殿の周りを一回りすると北東の隅にチョッとした砲台のような物があり、ここからはリカビトスの丘が良く見える。

神殿の少し下側には半円形の劇場跡もあり、大昔に多くの人がここに集ったのだろうと想像も出来た。もっと下に下ると発掘された色々な彫像等が展示された博物館もあるし、矢張り一級の遺跡であることは間違いない。

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2009年3月14日 (土)

トイレで覗かれたinアテネ

アテネで仕事をしている時は大体1ヵ月アテネに滞在し1週間日本に帰ると言う事を繰り返していた。これは、仕事の詳細な報告をしたり経費の精算をしたり、次の仕事の準備をするためだ。

アテネで1ヵ月滞在し仕事をしていると当然休日が何回か巡ってくる。この時にはアテネの市内を散策したり、食べ物を食べに行ったりとして過ごすのだが、ほとんどが1人での外出であまり面白い物ではない。

幾つかのキーになる場所を決めて一日に歩くルートを決めて外出する訳だ。ある時は繁華街だったり、ある時は市場だったり、ウインドゥショッピングだったこともある。

一日中外にいるわけだから、必ずトイレには行きたくなる。この場合は結構困るのだ。アテネ市内には講習のトイレと言う物がほとんどない。地下鉄の駅にもトイレは見つからないのだ。

こう言う場合は、近くのレストラン等に入り飲み物を注文してトイレを借りると言うのが最も手っ取り早い。

ある時、市街地の少し北側にあるオモニア広場を散策している時にトイレに行きたくなったのだが、

近くにタベルナが見つからず仕方がなくお金を払い映画館に入った。映画館でトイレを探していてふと気が付くと不審な人がついてくる。この時は私についてくるのか、たまたまその人が同じ行動を取っていたのかは分からなかったのだが、気にもせずにトイレに入った。

その人も一緒に入ってくる。私が小用を足し始めると、その人は私の隣に来て自分も用を足すような格好をしたまま私の方を覗きこんでいる。「ウォット・ドゥ・ユー・ドゥーイング」と大きな声で怒鳴ったが、その人は平気な顔をしている。

まさに変態な人だ。私は小用もそこそこにトイレを立ち去ったが、嫌な気分になった。

変態な人は私が東洋人と言うことで興味があったのだろうが、こちらは大迷惑だ。

どこの国にもこの様な変態的な性癖を持った人は居るのだろうが、覗かれた方は良い気持ちはしないし、その国にある種の違和感を持つようになるのではないだろうか。現実に私がそうだった。

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2009年3月12日 (木)

タベルナで食べるinアテネ

アテネの市街や郊外には食堂やレストラン等食べるところがたくさんある。レストランは別としてみんなが和気藹々と語りながら食事できるような所をギリシャ語で「タベルナ」と言う。

つまり日本人の感覚で言うとタベルナで食べるわけだ。

私も何度かこのタベルナでビールを飲みながら食事をしたことがある。タベルナのほとんどはオープンテラスがあって道端にテーブルを出して日の光を浴びながら、或いは木陰で食事を楽しめる。

勿論、外で食べるのが嫌いな人は建物の中で食事を取ることが出来る。

以前に紹介したスブラキプレートを出すお店でも中庭があってそこにテーブルが置いてあったり、道に沿ってテーブルが並べられているからタベルナの部類に入る。

特にタベルナの多い地区はアクロポリスの北側にあるモナスティラキ地区だろう。とにかくゴチャゴチャとした道と言う道にタベルナが店を出している。うまいところに座れれば座った位置からアクロポリスが一望できるし、アクロポリスに登る坂道にもこの種のお店があるので食べながらアクロポリスを見ることが出来るのだ。

タベルナで食べ物を注文する時は、よく周りを見渡してから選ぶことにしていた。勿論メニューはあるが地元の人や観光客が好んで食べているものを探す訳だ。最初にビールを頼み、それを飲みながら、キョロキョロとあたりを見渡すと結構同じものを食べている人が多い。つまりそのお店のおすすめ料理と言う所だろう。

忙しなく動いているウェイターに手を挙げて呼び寄せ、「あれは何て言う食べ物だと?」と他の人には分からないように目的のテーブルを指で示す。「○○です」と回答が帰ってくると「私もそれが欲しい」と注文する訳だ。こうして、いっぱしのギリシャ人の様になって澄ました顔をしてタベルナで食事をするのだ。

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2009年3月10日 (火)

一番工事が遅れていたメイン競技場のスクリーンinアテネ

各競技サイトのスクリーン建設は規模が小さいし、フレームを標準化したこともあって比較的順調に進んでいた。と言っても、ここはギリシャ、遅れることなどなんとも思っていないようなお国柄だから、サイトの建築業者とアテネオリンピック委員会(ATHOC)との両方を突きながら出来るだけ計画通りに進むようにしていた。

一方、新設しているメインスタジアムの工事は遅れに遅れていて、「本当に間に合うの?」と言うような状態であった。この頃になってもメインスタジアムのスクリーンの設計は完了しておらず、と言うより、聖火の点灯との取り合いが決定していないため「ああでもない、こうでもない」と言う日が続いていた。

一応、聖火の点灯の方法は決まっていたのだが、聖火台の設計とスクリーンの設計の折り合いが中々つかずに時間がずれて行ったということだ。

開会式でスクリーンが回転し、聖火台が前に折れ曲がってきたのは覚えているだろう。

設計時に最も論議が集中したのがスクリーンをどこまで回転させるかと言うことだ。回転させるためにはスクリーンが点灯したままなので放熱の問題があったり、スクリーンを構成するユニットの重さがフレームに与える反りや歪をどう押さえるかと言う問題があり、これが決まらないと聖火台をどこまで折り曲げるのかが決まってこない。

ATHOC側はスクリーンを完全に水平まで回転させてくれと要望してくるし、我々としてはスクリーンの性能を維持するために放熱が確実に行われないといけない。代理店のサービスベンチでどこまで回転させられるかの簡単な実験を行った上で60度までだったら放熱・換気が出来ると手を打った。

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この写真は開会式当日の聖火点灯の瞬間だがスクリーンが回転し聖火台が折り曲がってきているのが分かるだろう

そこからフレームの強度設計が始まる訳だから遅れるわけだ。オリンピックの開会式の6ヵ月ぐらい前までこんな事をやっているのだからギリシャの仕事の仕方が分かるだろう。

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2009年3月 8日 (日)

衛兵の交代式inアテネ

アテネの中心部、シンタグマの近くに国会議事堂がある。ここは元無名戦士の碑だったのだが奥に建物が出来、国会議事堂になったところだ。アテネ一番の大通りに面していて、目の前にはアテネで一番格式のあるグランド・ブリターニュがある。

この国会議事堂の前では衛兵の交代式が見られる。最初はなんだか人だかりがあったので好奇心でその人だかりの中に入っていったら衛兵の交代式が行われていることが分かった。それから何度と無くこの交代式を見たのだが、ほとんどの人は広場の交代式にだけ興味を示していた。私も当然、交代式は見ていたのだが、それ以前に衛兵達が5人(確か5人だったと思う)で縦列の隊形で歩いてくるヴァス・ソフィアス通りを見張っていた。

この道は下り坂になっていて白いスカートのような古風な制服でタイツをはいた衛兵たちが歩道を一列縦隊で大きく手を振って歩いてくる。誰が号令を掛けるとも無く黙々と歩いてくる。

この隊形のままグランド・ブリターニュホテルの前を左折してアマリアス通りに出ていよいよ広場にやってくる。このとき初めて号令が聞こえ先頭が1人で後は横隊の隊列に変わる。近くで見ると皆凄くがっしりした体格でハンサムな衛兵たちだ。恐らく、相当の競争を勝ち抜いて衛兵に選ばれたのだろう。

この交代式を見ていると実に面白い、足を高く上げて歩き、あるときは足を上げたまま一瞬止まったり、壁の所を壁と並行に歩いたりしている。ソレゾレに意味があるのだろうが、我々らは分からない。一種の儀式として見ていた。この時の写真も詳細に撮ったのだが、どこに行ったのか見当たらない。

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交代式が終わると今まで衛兵として立っていた兵士を中に入れてまた整然と一列縦隊になりヴァス・ソフィアス通りを上っていく。

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一方交代した衛兵はスックと立ったまま微動だにしない。観光客たちが隣に来て記念写真を撮っていても全く動かない瞬きもしない。よく訓練されている。観光客の周りでは鳩が広場に降りて餌をついばんでいる、穏やかな風景だ。

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2009年3月 6日 (金)

美味しい食べ物inアテネ

私は自分ではグルメだと思っているし郷に入れば郷に従えで地元の料理を好んで食べる。外国に出ても日本料理が懐かしくなることはない。後日書くが全くその反対の人もいるからこう言う人と一緒に出張すると本当にうっとうしくなる。

ある時、代理店の事務所で仕事をしている時に「ギリシャの代表的な料理は何か?」と尋ねたら秘書が「スブラキ・ピタだろう」と教えてくれた。「アテネではどこででも食べられるが特に有名で美味しい所がある」とお店を教えてくれた。

スブラキ・ピタはギリシャのファストフードで焼肉を野菜と一緒にインド料理のナンの様なものに包んだ物だ。お店によってはヨーグルトが挟んである所もある。スブラキ・ピタはテイクアウトがほとんどで外の景色の良いところなどで座って食べている人を多く見かけた。これと同じ様なものでお店の中で食べるスブラキ・プレートと言う物がある。このプレートはお皿のことでお皿の上にナンの様なものを置きその上にスブラキや野菜類が乗っている食べ物だ。私はこの両方が好きだ。

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秘書に場所を教えてもらって時間を見ていくことにした。秘書が教えてくれた場所はアテネの中心部でアクロポリスの北側の麓にあるモナスティラキと言う場所だった。

私の滞在していたホテルはアテネのかなり南側にあったのでバスを利用して約25分ぐらい掛かる所だ。

それでも食べたい一心にそこを目指して行った。モナスティラキは繁華街で食べ物屋や御土産屋がたくさん並んでいて観光客や地元の人でゴッタ返していた。その中でひと際人が群がっているお店があった。そこが目指すお店だった。

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しばらく、お客がどう言う買い方をするのかを見て「研究」していた。買い方が分かり私もいよいよトライすることにし小銭を用意して列に並んだ。私の番が来たので指で焼いている肉を指定してスブラキ・ピタにしてもらった。隣のお店で飲み物を買い、近くの道端に座って(みんながやっていたので真似をした)このスブラキ・ピタを食べた・美味かった。それ以来、すっかり虜になってしまった。

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2009年3月 4日 (水)

バスケットボール・ナショナルチームの練習を見るinアテネ

先日書いた体育館で工事指導している時に、出来上がったフロアーに大勢のアスリートたちが出て来た。

何事が始まるのかと思い最上階の床に座って(工事中で椅子も何もない状態だったから)この様子を見ていた。

アスリートたちがバスケットボールの選手であることは直ぐに分かった。それもギリシャのナショナルチームの選手である。選手たちは思い思いにウォーミングアップしていた。私も小学生にバスケットを教えている指導者の端くれ、興味を持ってどう言う練習をするのかを見ていた。

今まで、NBAの試合、オーストラリアの国内リーグの試合、日本の実業団の試合はたくさん見てきているが、この場合、選手の練習は試合前のアップだけでハーフコートの物に限られている。オールコートを使った練習がどう言うものなのか比重に興味があった。

数えてみると選手は15人、監督、コーチ、トレーナ等を入れて20人だった。

アップを終えた選手たちは5人ずつ三組に分かれ、5人がディフェンス、5人がオフェンスとなってコートで動きの練習を始めた。なるほど、15人ならばオフェンスとディフェンスの練習が交互に出来る。

これは、我々のチームにも使えるなと感心しきりだ。

その後も仕事の指導はそっちのけで(作業者が聞いてきたら指導に行くという考え方)で練習に見入っていた。

このオフェンスとディフェンスの練習は「走る」と言うアップとバスケットの基本動作の確認の一種だった。

その後、選手たちはチームのメンバーを変えながら5対5の練習やシュート練習、パス回しの練習等をしていた。

基本的なことは小学生でもトップ選手でも同じだ。私はこの練習を自分のチームの子供たちに見せてあげたいと思った。一流の選手達も基本の練習はシッカリやっていると言う事を知ってもらうためだ。

帰国後の子供たちの練習時にこのことを子供たちに話したら子供たちも納得していた。

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2009年3月 2日 (月)

取り付け工事が始まるinアテネ

フレームの試作が完成し、検討が終わると同時に各会場で取り付けの事前作業が始まった。あるところは既設の建物のコンクリートをハッツて基礎を埋め込むまたあるところは地面に穴を開けて基礎を埋め込む。違う所では全くの新設と言うように各会場とも取り付け方法が様々であり、それを見回り支持しながら進行するためほぼ一日常時同社で移動という日も珍しくなかった。

一方で、フレーム作りも本格化していて書く会場のサイズに合わせたフレームが出来つつあった。

フレームの取り付け工事のチームは一チームしかないのでフレームの出来上がりと基礎の出来上がりのスケジュールを見ながらどの会場を先に取り付けるかの調整をしていた。

写真のフレームは旧空港にあった格納庫を改装して体育館にしたところのものでバスケットボールの予選会場のものである。この会場では観客席の一番上部の床に穴を開けて基礎を埋めこむと言う方法をとった。

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フレーム本体は鉄材であるが、外装の材料はアルミのサッシ材を多用し加工を出来るだけ少なくし軽くするように工夫されている。

色々な国で仕事をしてきたがギリシャでも現場の作業者のマナーは悪く、タバコを吸いながら仕事をするし、ゴミは散らかすはで、片付けたり指導するのが大変であった。

幾ら注意してもこの態度は治らず、最後はさじを投げてしまって、私自身が指導の傍ら、ゴミ拾いや現場の片づけをしている始末だった。

以前から、このような仕事で慣れているところに外国の指導者が来て注意してもそう瞬間的に直るものでもない。

「郷に入れば郷に従え」の考え方で、事故がないように注意、指導するのが精一杯だった。

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