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2009年4月30日 (木)

ツアーコンダクターinアテネ 2

前回アップしたような特別のイベントを除いても毎日、毎日が日本人技術者たちの車の手配、弁当の手配、ホテルの手配でツアーコンダクターの仕事だった。

更に彼らの滞在が長引けばまた新たなイベントの企画等をしなければならなかった。

当然日曜日には休みを取らせていたので土曜日になると色々と彼らから注文が出てくる。或るグループはエーゲ海の島に行って見たいと言われるし、スポーツの好きな若者は先日行ったようなフットサルをやりたい、あるいは市内観光したいと言う物だ。

これに合わせて切符の手配を行ったり、車の手配を行ったり、地図作りが私の仕事に加わってきた。

エーゲ海クルーズに行きたいと言っていたのは3人で何れも年配の人だ。彼らは英語が話せないので全てを私が段取りした。旅行会社に電話して船の予約をして切符の手配をしたうえで、ピックアップの場所まで決めて彼らに伝えた。

また、フットサルのグループは現地のリーグ戦に合わせて販売会社のチームとして登録し、バスの手配をした。私はこのグループに同行したのだ。

市内観光のグループには見所や歩く道のルートを地図に書いて渡したりしていた。

仕事をしている場所、泊まっているホテルが違うのでそれぞれの要求をまとめて段取りをし、結果を彼らに伝えるのも一苦労だった。

こう言うことが2~3回続いた後で、仕事が集約し、最後の仕事がカヌー会場の既に取り付けてあったユニットを現場の青空の下で改修すると言うと言うところまで来た。

この時は、私も含めて皆同じホテルに泊まることになった。私は定宿を一時解約し皆と同じホテルに移動したるこの時も幾つかのホテルを物色し、その中から条件の良いホテルを選択したのだ。

これなどもまさにツアーコンダクターの仕事だ。

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2009年4月28日 (火)

ツアーコンダクターinアテネ

ユニットの改修は大変な作業で中々はかどらない。急がせれば失敗や最改修もありうる。大体1日で400台ぐらいしか仕上がらないから、一応この台数を目安にして仕事を進めたる

それでも全部を改修するのには2週間ぐらい掛かる勘定だ。

その間は私の本来の仕事に加えて改修作業の指揮や彼らのツアーコンダクターまで行わなければならなかった。

ある時、現地の販売会社がフットサルのリーグに出るということで急遽日本から来た若手でやってみたい人は居ないかと問い合わせがあった。

日本の改修技術者の中にはサッカーをやっていた人もいたし、毎日の根をつめた仕事のストレス解消のためにやって見たいと言う人も居て、このフットサルの試合に飛び入りで参加することになった。

アテネの一部の会社が親睦のためにやっていることで選手の制限はなく飛び入りは自由であるらしい。販売会社のチームは昨年度のリーグで全廃しているということで日本人の若い力を借りて是非1勝をと言うことらしい。

それならばと言うことで飛び入り参加になったのだが、会場までの交通手段がない。そこで今までお願いしていたタクシー会社に依頼してマイクロバスを用意してもらい、代理店で何名かを載せた上で他の技術者が泊まっているホテルで残りの人を拾い会場まで行った。当然私も付いていった。

ネットで覆われた小さなコートで現地の人のチームと試合が始まると皆代わる代わる出場しいい汗をかいていた。しかし、皆久しぶりに行う運動のため直ぐに息が荒くなり頻繁に選手の交代をしていた。

結果は負けてしまったが、最後に相手の選手全員と握手をして良い雰囲気で試合を終わることが出来たこのあと皆で和気藹々とビールを飲み話が弾んだが、待たせていたマイクロバスに載せてホテルまで送り届けた。

このマイクロバス代は後で請求された。2万円であったが、皆をホテルに閉じ込めておくよりはストレス解消の良い薬になったと思っている。

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2009年4月26日 (日)

大変な改修作業inアテネ

改修作業を始める前にこのためにやって来た技術者全員を集めて作業手順と要領そして最後の確認作業の方法を確かめた。

たった一つの部品を交換するためにユニットを全部分解してプリント基板まで出さなければならない、その為に途中で部品をなくしてしまったり(どこかに入ってしまった可能性がありこれが一番怖い)、プラスチックで出来た部品を傷つけたり壊してしまうケースも考えられる。

このために日本や中国から予備の部品をかなり送ってもらっていた。

最終的な部品の交換は1ミリ四方ぐらいのチップ抵抗(プリント版の上に半田付けされている部品)を交換するだけだが、小さい部品なのでかなりの神経を使う仕事だ。

私は4人一組みのチームを作らせた。若くて目が良い技術者2人をこのチップ抵抗の交換作業に当てさせ、他の2人は開梱、ユニットの分解、組み立て、組み立て後の点灯試験に当てさせた。

作業がし易いように自分達で配置を考えさせ流れ作業が出来るようにした。

部品の交換が終わり点灯確認が終わったユニットにはマークを付けて再梱包すると言う手順だが、一日中同じ作業ばかりやっている人はかなりきついのだろうと思った。

2人はどちらかと言うと肉体労働で、2人はめと神経が疲れる細かい作業だ。けじめの良い台数の改修が終わったり、時間になったら休憩を取るように指示はしていたが作業が始まると黙々と仕事に打ち込んでしまうので、気楽にやれるような配慮を考えてあげなければならない。彼らも心得たもので日本からプレーヤーを持ち込み音楽を流したりして気を紛らわせていた。

三組の改修チームのうち二組はAТHOCの倉庫で行っていたので私の眼には届かなかったがいつも電話で連絡を取り合い、代理店の事務所から指示を出していた。もう一組は代理店の会議室を独占して日本人2人と現地人2人で仕事をさせていた。こちらは私が傍にいたので時々顔を出し飲み物の準備をしたり話しかけたりして気を休めさせていた。

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2009年4月24日 (金)

日本食しか食べられない日本人inアテネ

あとから派遣されてきた運用チームの中に日本食しか食べられない人が居た。この人が先乗りで販売会社の日本人と事務所の場所を探したのでシンタグマにある日本食レストラン「風林火山」の極近の開いている事務所を借りることにしてしまったのだ。

彼らはまた市の中心地に近い別のホテルに泊まっていて歩いてこのデポまでアクセスできるからいいものの、我々は代理店の車やタクシーを利用しなければならず駐車場もないこのデポにはほとほと参っていた。

彼は昼、夜とこのレストランに通っていて、時たま近くにある韓国料理店に行っていたのでお店の人とすっかり顔なじみになっていた。 外国に行って日本料理を食べると「不味くて、高い」が常識だ。それでも「風林火山」は経営者が日本人であるので「そこそこ美味くて、高い」クラスになる。彼は毎日通っていたのでかなり散在したことになるだろう。

私も何度か行ったことがあるが、日本人の駐在員や地元のアテネの人で結構賑わっていた。 彼はここでも日本のビールでおつまみには枝豆と言う日本スタイルを崩さない。彼は通風持ちなのだが通風に一番悪いパターン「ビールと枝豆」のスタイルを崩さなかった。

私は外国に行けばその土地のものしか食べないという信念を持っている。「郷に入れば郷に従え」だし、食は文化の一つであるからその国の文化を少しでも知るためにそうしているのだ。

運営チームのデポには日本人以外ほとんど出入りしないのでそれでも良しとするが、日本食しか食べない人を派遣してくるとは矢張り考え物だ。

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2009年4月22日 (水)

もう一つのチームがやって来たinアテネ

我々のチームはオリンピックの会場に大型スクリーンを設置するための設計、設置、改修(これはあとから発生したことだが)することが目的であるが、オリンピック期間中これらのボードを運営管理し緊急時に対応するためのチームが必要であり、我々とは別に編成されたチームがアテネにやって来た。

私と行動をともにしている2人の日本人技術者は設置、改修が終わればこの運営チームに移行する手はずになっていた。

彼らは市内にデポをつくり、そこを基点に動くことになっている。我々はあくまでも技術的なことが主体であるので代理店の技術者と密接な関係が必要なために代理店の一室をデポとしていた。

我々にはもう一つのデポがあった。それは現地の我が社の出先機関(販売会社)だ。ここは主としてオリンピックに物品を提供している宣伝関係の人達が使用していた。

公の打ち合わせは販売会社の会議室で行われるために私の場合はこの全てに関係が有るのでこの三つのデポの間を行ったり来たりの毎日だった。

Photo

私たちが常駐していた代理店は市の南の方にあり、運営チームのデポは市の中心部(シンタグマ)、そして販売会社はかなり市の北部にあった。更に改修を行っているAТHOCの倉庫は更に北に位置している。私の本来の仕事であるオリンピックサイトへの大型スクリーンの設置も佳境に入っていて分散したこれらの間の移動だけでも大変だった。

移動は主として代理店の技術者と一緒に彼の車を使うのが多かったが、彼には関係ない打ち合わせなどは1人でタクシーで移動することも多かった。アテネでは街中で流しのタクシーを拾うことも出来るが私の場合は代理店や販売会社の秘書に呼んでもらうことが多かった。

シンタグマの運営チームのデポは有名なホテルが近くにあったのでねここのボーイを介してホテルで客待ちしているタクシーを利用した。

チームが一つ増えただけで私の動きも複雑になりかなり大変だった。

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2009年4月19日 (日)

弁当の手配inアテネ

日本人技術者には日本食を食べてもらおうと日本食の弁当を毎日用意した。

市の中心地シンタグマにアテネでは有名な「風林火山」と言う日本食レストランがあったのでそこに弁当を依頼した。

ここでは時間までに何食分必要かを連絡して作っておいてもらい、毎日タクシーが取りに行って作業している所まで運ぶと言う算段だ。

AТHOCの倉庫の周辺には小さな食堂が一軒あるだけで後はだだっ広い荒地だからここで働く技術者にとってはこの弁当にはご馳走になるのだ。

私と他の2人の技術者は代理店にいた。最初の3日間ぐらいはこの弁当を依頼していたが、代理店の中で我々日本人だけ集まって弁当を食べている風景は異様だと感じ、我々3人の弁当は早々に手配を中止し、ギリシャ人と一緒に近くのタベルナに食べに行ったり、近くのサンドイッチ屋に注文したり、代理店の中にあるスナックでサンドイッチとジュースを注文して済ませていた。

AТHOCの倉庫の近くの食堂に一度だけ全員で行ったことがあるのだが、私を含めて日本人が13人となり、皆違う物を注文するから、時間が掛かった上に、倉庫への入出門の手続きが面倒だったために一度だけでやめ、弁当に戻した。

「風林火山」もこんな注文は始めてらしく戸惑いがあったに違いない。それでも毎日違った献立の弁当が出ているとAТHOCの倉庫で働く技術者には評判がよかった。

私も時々、作業の進捗状況を確認したり、技術者たちの意見を聞くためにAТHOCの倉庫に出かけていたので、この時はこの弁当に助けられた。

後日、この作業が一段落した時に何人かの日本人と一緒に「風林火山」のお店を訪ねた。

Photo

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2009年4月17日 (金)

1人三役の大忙しinアテネ

私がアテネに仕事に来たのはオリンピック用の大型スクリーンの設計と設置だった。

それがユニットの温度設定不具合の問題が発生してからは三つの仕事をしなくてはならなくなった。大勢の日本人技術者がアテネにやってきたために、彼らの移動や宿泊、弁当の手配などを管理するツアーコンダクターの仕事と修理作業の段取りや品質を管理する仕事だ。

10人と2人の日本人グループに分けて10人はオモニアエリアに宿泊させ、ここからアテネの北部にあるAТHOCの倉庫まで毎日送り迎えする段取りや弁当の手配などを行うとともに、私と一緒に行動し代理店の倉庫で作業する2人の移動手段などを考え、調整しなければならなくなったのだ。

修理作業は定型的な作業だから始まってしまえばさほど手が掛かる仕事ではないが、彼の手が空き、遊んでしまったり無駄な時間を作らないための段取りや修理前の物、修理後のもの、日本製のもの、新しく中国から送られてくるものの保管場所の管理や員数確認などが大きなウエイトを占める仕事になってしまった。

同時に彼らの働きやすい環境作りが大変だ。毎日タクシーの手配をし、弁当の手配をし、彼らには修理作業に集中してもらわなければならないのだ。

弁当も日本食レストランに特別に作ってもうため、毎日人数の確認をしなければならない。まさにツアーコンダクターだ。

仕事の時ばかりではない、休日になれば色々な所に連れて行ったり、イベントを紹介したり、皆でスポーツをしに行ったりと、本業以外のところで物凄く神経を使わなければならなかった。

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2009年4月15日 (水)

ガールハント? inアテネ

オモニアのホテルに12人の日本人が泊まっている時、全員で散歩がてら食事に出たことがある。

私は長滞在していたのでオモニアの周辺や繁華街であるモナスティラキの周辺、そこを結ぶ道路については新しく来た日本人よりは良く知っていた。

Photo_3   

皆で町の風景を見ながらそぞろ歩きをしながら、目ぼしいタベルナ(食堂)を探していた。道路にテーブルを出しているので覗きこむこともなく道端のテーブルで食べている人の食べ物を見ていればどんな物を出す店かは分かる。

あるお店の前に来た時に若い連中が「あれが食べたい」と言いだし、そのお店に入ることにした。何せ12人の大所帯だ。お店の人も色々と工夫して12人が一緒に座れる場所を作ってくれた。

若いウェートレスが来てメニューを持ってきた。ここでも一騒動、英文のメニューを持ってきてくれたのだが、どんな料理かが分からない。先ほど食べたいと言っていた料理がどれに当たるかも分からない。

早速先ほどのウェートレスを呼んで、一つひとつ説明してもらい私が通訳をしながら注文を確定していった。ビールを飲みながら待つ事しばし、料理が出てきた。皆が食べながら話をしている時に先ほどのウェートレスが私のところに来て「味はいかがですか?」と話しかけてきた。それから話が弾み、私とウェートレスが色々と話をしていると若い連中は横目で見ながら「Heroさんが女性を引っ掛けているよ!!」とまで言い出した。

彼らは英語が話せなかったために世間話で笑ったりしていることがその様に見えたのかもしれない。私は決してガールハントをしているつもりはなく世間話をしていたのに心外だった。

後で、話の内容を説明してあげると「何だ、そんな話だったのか」と納得してくれた。

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2009年4月13日 (月)

大挙してやって来た日本人技術者inアテネ2

先ずこれだけの人間が一度にやってくると宿泊するホテルを確保するのが大変なことだ。

大部分の中国ユニットは市の北部にあるAТHOC(アソック:アテネオリンピック委員会)が用意した倉庫に保管されていた。ここは市内中心部から車で40分ぐらい離れていて、しかも協賛各社の荷物も保管されているので入出門のチェックが物凄く厳しい。

また、ある一定数の中国製ユニットは代理店の倉庫に保管されていてこちらは市の南部の方に位置していた。

その為、10人の日本人は市の中心から少し北のほうにあるオモニア地区にホテルを確保した。

最初の2~3日は交通や倉庫への入出門の交渉のルーティン化のため私ともう2人の日本人も同じホテルに泊まり行動をともにした。

先ず、AТHOCの倉庫に入出門するための各人の詳細を記した書類と許可書を作ってもらって、そこに行く人の名前は毎日書いてもらうようにし、その書類とパスポートはゲートに預けるという方法を確立した。

その上でこれだけの大人数を一度に輸送するための交通手段としてタクシーで毎日送り迎えしてもらえるような体制を作った。行きはホテルから全員がタクシーに乗り込み同じ場所に行くのであるからどのタクシー会社でも良いのだが、帰りは迎えに来てもらわなければならないので、一定のタクシー会社に絞らなければならない。

この会社にも料金は一括後払いと言うことで交渉をした。つまり何回往復したか、何処に行ったかを双方で記録して最後に清算する方法である。私もこの倉庫には何回か行ったし、買出しに町まで戻ったり代理店に行ったりしていたので、電話一本出来てくれ、自由に乗れるタクシーは便利であった。

倉庫の内部を作業のしやすいレイアウトに変更したり人員の配置が適当かどうかの確認、休憩時間の飲み物等の確保など、一通りの準備が出来、作業が順調に進むのを確認した段階で、2人の日本人と私の定宿のコーラルホテルに宿を移動させた。

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2009年4月11日 (土)

大挙してやって来た日本人技術者inアテネ

問題が起こったユニットを改修するために日本でも忙しい技術者を急遽集めて送り込んできた。

当初は責任の所在をハッキリするために中国からの人の派遣を考えたが、言葉は通じないしビザを取るなどの制限があり、結局日本人の技術者にせざるを得なかったのである。

日本でもこれだけの技術者を集めるのは大変で私が勤めていた会社の技術者の他に三つの会社から人を出してもらう羽目になった。

中には若い人も、歳を取った人も居て、更には海外が初めてだと言う人もいた。会社は違い、年齢も違い、経験も違う。こう言う人達を一つの仕事をするためにまとめるのは大変なことだ。

面白い話がある。年配で始めて海外に出て仕事をする人が持ってきたものは何とインスタントラーメンとコッフェルだった。勿論、彼の本業である改修のための工具は持ってきてはいたがインスタントラーメンとコッフェルには驚いた。彼はホテルの設備を知らなかったばかりではなく、ホテル内で火を扱う道具が使えないことを知らなかったのだ。

現地で受け入れる私のほうも大変でこれだけの大人数を泊まるホテルや空港まで迎えに行くマイクロバスの手配などてんてこ舞いだった。

これだけの仕事をしているのなら別だが、私の仕事は主の競技場を含めて多くのスクリーンを設置するための指導が主な物だから、相変わらずアテネの町を駆けずり回り、サイト、サイトで出来上がり状態や工法などの指導に当たっていた。

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2009年4月 9日 (木)

問題の原因が判明inアテネ

問題が発生したユニットを何台か日本に送り返して、更に中国の工場にも送り返し、再現実験を行った。その間、現地ではユニットを取り付けることも出来ずにフレームの建築を指導していた。

幾ら航空便で送っても到着して通関し、工事用に着くまでは4日は掛かり、それからの再現実験だ。

現地にいる私としては気が気ではない。1週間ぐらいして、日本と中国の工場両方で現象が再現できたとの連絡があったが、それから原因究明までまた暫くの時間が必要だった。

日本サイドでは現象からどのあたりに問題がありそうだという検討をつけていたらしい。暫くして

原因が判明したとの連絡を受けた。

何と中国の工場で部品の自動装填機に実装する部品の定数が間違えていたと言うことだった。温度をコントロールするための抵抗を間違った定数の物を実装機に装填してしまったのだそうだ。

日本で製作したものは大丈夫だとの返事が来たが、疑心暗鬼だ!!

さて、それからが大変だ!! どのユニットがそう言う状態なのかがわからないし、何千台もあるユニットのたった一つの部品を交換しなければならないのだ。

現地での工事も着々と進んでいることでもあり、早く回収されたユニットが欲しい。

最終的な結論は人海戦術でアテネでユニットを分解し部品を交換すると言うものだった。私は過去に同じ様なことを現地で指揮したことがありその大変さは分かっていたので、正直なところ「またやるのかよ!!」と言う気持ちになった。それでも仕方がない、やらなければ目的としているオリンピックに大型スクリーンを展開することが出来ないことになるため、毎日日本と電話やメールで連絡を取りながら対策を立てていた。

最終的に10人の日本人技術者を派遣してもらい、ユニットが保管されている倉庫で改修することになった。更にアテネで2人の技術者を雇い、合計12人の改修チームを編成した。

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2009年4月 7日 (火)

重大な問題発生inアテネ

いよいよ、電源を投入し調整や試験をする段階になって映像のソースがもらえないことが分かった。仕方無しに日本に帰った時にDVDのプレーヤーを調達してソフトと一緒に持ってきた。勿論アテネでもDVDのプレーヤーを買うことは出来るが将来的なことも考えて色々な法相方式に対応できる物を調達したのだ。(日本はNТSC方式、ヨーロッパはPAL方式なのだ)

最初にインストレーションが終わったカヌー会場のスクリーンに電源を投入した。電源を投入する前には勿論、供給されている電源の質やスクリーン本体の絶縁抵抗などを調べて電源投入時に一瞬にして壊れてしまわないことは確認していた。

電源を入れて暫くの間はスクリーンを白にして、白のバラツキが無いかを確認していた。何せLEDには同じ青や緑でもかなりのバラツキがあって白がピンクに近かったり青っぽかったりと中々安定した色が出せないでいたのだ。

これを均一にならすためにユニットの入れ替え等を行ってバラツキが目立たないように調整をしなければならなかったのだ。

この作業を行っている時にユニットがユニット単位で突然黒くなってしまうと言う問題が発生した。実はユニットには温度をコントロールする機能がついていて、ある温度以上に高温になると電源が自動的に落ちるように設計されていたのだが、何とこの機能がバラバラに動作し始めたのだ。

初めはユニット本体に不具合があるなどとは思わず、何が起こったのかも全く見当が付かなかった。

電源を一旦落として温度を下げるとまた正常動作する!! これを暫く繰り返しながら、現象が出たときの写真とユニットを日本に送り返し原因を追究してもらうことにした。

このユニットは中国で生産した最初のロットで本来ならば中国に返品して原因の解析をしてもらうのが筋なのだが、中国の工場にはその能力が無く、手間であるが日本の技術関係部署に直接送ったのだ。

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2009年4月 5日 (日)

TUMIのバッグを盗まれるinローマ3

急いで先ほどの事務所に行くと「それらしきバッグが発見されたから確認して欲しい」と言うではないか、急いでバッグを見せてもらうと紛れもなく私のバッグだった。「私のものに間違いない」と言うと「中身を確認しろ!!」と催促された。

外観はファスナーが明けられてはいたが傷は付いていない、中身で一番大切なパソコンも入っている、細々とした物も全て入っていた。盗まれた物は何もない!!

私は「盗まれた物は何もない。良かった」と警官に言うと「金目の物が入っていなかったからだろう。こんな事は珍しい」と言ってくれた。

確かに帰国途中であるのでパスポート、航空券、現金等の金目の物は身に付けていたが、パソコンの他にデジカメやデジタルビデオ等も入っていたにも関わらず何も取られていなかったのは奇跡に近い状態だったのだろう。

どこで発見されたのかを聞くと私が居眠りをしていた所の近くのトイレの洗面台の上にファスナーが空いた状態で放置されていたと言う。これを見つけた清掃員が通報してくれたのだと言う。

発見者が普通の旅行者だったら通報はしてくれていなかっただろう!! そう言う意味では清掃員が近くで作業していてくれたことが私にとっては物凄くラッキーなとこだったのだ。

警官にお礼を言い、引取りの書類にサインをし、先ほど書いた書類のコピーを廃棄して事務所を後にした。チェックイン終了の間じかではあったが、何とかチェックインを終え、飛行機に乗ることが出来た。

後から考えるに私が座って居眠りをしているところが悪かったと思う。たくさん有る椅子の中で通路に面したところに座り、更にカートを通路側に置いていたためだ。これには十分反省する余地はある。

経験からのアドバイス 「持ち物は通路と反対側に置け!!だ。

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2009年4月 3日 (金)

TUMIのバッグを盗まれるinローマ2

盗まれた(置き引きされた)バッグには帰国に対して必要な物は何も入っていなかったが、業務の全てを記録したパソコンが入っていたので、これは何とか取り戻したかった。

暫く呆然とした時間が過ぎた後で、「そうだ、警察に届けを出そう」と言う事を思いついた。恐らく出ては来ないだろうが「盗難証明書」だけでも貰っておけば幾らかでも保険でカバーが出来ると考えたからだ。

早速、空港内を歩き回り警察の事務所と警官を捜した。

イタリアの警察は警官の種類がたくさんあり、どの制服の警官が何を取り締まっているのかは私には分からないのだが、とにかく制服を着て腰にピストルをつけている人は警官だと思い、そう言う格好の人を探した。運よく2人組みの警官にあったので「かくかく、しかじかでバッグを置き引きに遭い盗まれた」と伝えた。その警官は盗難の担当ではなかったらしく、警察の事務所に案内してくれた。

ここで、盗難の担当の警官から事情聴取と盗難に遭ったバッグの中身、タッグが付いているかなど事細かに聞かれ調書を取られた。勿論日本の住所も聞かれた。これは出てきた時に送り返してくれるとのことからだ。「発見されたら連絡する」と心もとない言葉でその事務所を出た。

この時は荷物のチェックインが始まる2時間ぐらい前になっていた。半分以上あきらめていたのだか、矢張り気がかりでチェックインが始まっても出来るだけ遅くチェックインしようと思っていた。

チェックインが始まっても暫く椅子に座っていたら、アナウンスでなんだか私の名前を呼んでいるような感じがした。耳を澄まして聞くと確かに私の名前だ。更に良く聞くと「警察の事務所まで来い」と言っている。 続きは次回!!

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2009年4月 1日 (水)

TUMIのバッグを盗まれるinローマ

アテネでの仕事は長期にわたっていたので、1ヵ月に一度は日本に帰り旅費の清算や、経費の精算、報告、次の仕事の準備などをしていた。ある時日本に帰るためにアテネからの飛行機の予約をしたのだが、どうしても最短のルート、最短の時間の便が取れず、ローマのマルペンサ空港での乗り継ぎに7時間も待つ羽目になってしまった。

この時、事件が起きてしまった。

アテネで預けた荷物はてっきり成田で受け取れるとばかり思っていたのだが、時間が有りすぎて空港では責任が取れないと言うことでマルペンサ空港で一旦引き取らざるを得なかった。1ヵ月の滞在の荷物だからかなり大量の荷物だった。

カートに荷物を積み込んだ。大きな荷物を下にして、手荷物をその上に載せていた。上に載せた手荷物はかなりの高さになっていた。この状態で次のチェックインが始まるまでの約6時間マルペンサ空港の中をウロウロとしていたのだ。

その内に疲れが出て眠くなってきた。丁度、荷物を引き取った所と次のチェックインの場所の中間地点ぐらいに人がほとんど居ない場所があったのでそこに座って休んでいた。その内に、ついウトウトと居眠りをしてしまった。

どのぐらいうたた寝をしていたかは不明だが、目が覚めてまたカートを押して歩き出そうとした瞬間に、何か変だ!! と思った。人間の直感とは凄い物だ。最初は何が起きたかわからなかったがカートを良く見ると一番上に載せたあった手荷物のTUMIのバッグが無い!! このバッグにはパソコンやらノート、機内で使う物、日常使っていた薬等が入っていた。

一瞬、クラッと来た。よく皆が「頭が真っ白になる」と言う状態だろう。うたた寝している間に誰かに盗まれてしまったのだ!! それから暫くは周辺を探したが見つからない。困り果てて立ったり座ったりの状態が暫く続いた。続きは次回!!

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